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THINK ABOUT SOMETHING.

創作

無意識の夢を見よ

長いこと創作をしていると「言葉が自然発現する」という状態に辿り着く。そこに至るまでの詳細は説明不能だが、これは大袈裟だけど宇宙の創生とかと同じ話。要するに虚無と夢のプリミティブな波打際が在って、その衝突を意識化し現実に焼き付けるのが芸術と…

芸術の一つの存在理由

人間歳を取ればイヤなこともどんどん増えていく。それが加速度的に急増するのがモラトリアムの期間だとすれば、「鈍感」はモラトリアム卒業のカギだろう。 多感なままでは破綻するから、反抗するだけでは収まらないから、大多数は鈍感な人間に収束し、社会生…

正義よりも強者

言論の妥当性というのは言論そのものの強度より、行為の方が先行するように思う。僕みたいな無名の人間がなんぼえらそうなこと言ったって、行為が伴わないから胡散臭い訳だ。 「正論か曲論か」という考え方はもう古くて、強い奴の言葉なら曲論でもまかり通っ…

ファイトクラブ批判

精神的豊穣と物質的豊穣について考えてみることにしよう。 精神的豊穣を「最後に拠点となるもの」、物質的豊穣を「精神を仄めかすもの」だと定義して、出逢いの入り口はどこまで行っても物質側(外見)だから、精神の翻訳者としての服装がそこで生きてくる訳…

センスの何たるか

「センスを磨け」という言葉がある。これは正直うろ覚えだが、寺田克也はこの言葉に対し「センスなんか誰でもあるわ」と答えていた筈で、これは一瞬納得してしまいかねないのだけど、多分違うな。 確かに飛び抜けて素晴らしいものは誰が見ても素晴らしいと感…

大必然性という理想

文化が歴史化するとそこに文法(伝統)が生じるが、これを一切踏襲しないで創造するということは先人がありとあらゆる角度から検証した必然性を放棄するということ。伝統にはそれなりの根拠がある訳だ。 但しこの構図は文化史が深まれば深まる程その色を濃く…

ダダもシュールも一過性の必然

僕はヨーロッパに旅行に出かけて初めてダリを知り、ブルトンを知り、シュルレアリスムを知ったぐらい「芸術素人」な人間だけど、日本に帰ってきて彼等を調べていく内にシュルレアリスムに幻滅していった経緯がある。 僕にダダとシュルレアリスムを明確に区分…

個人の自動書記

チャラの人間性の延長線上で見た最高傑作というのは「やさしい気持ち」だと思うが、あれはおそらく浅野忠信と結婚していなければ造れなかった個人的な作品の極致である。 これは自分がYouTubeでよく聴くHAJIMARINO-MEもそうだと思うのだが、強烈な体験が言葉…

予言者の名は

「将来を展望する」という行為についてだが、楽観的な予測ばかりを立ててもいけないし、悲観的な予測ばかりを立ててもいけないし、かと言って両者の中間にバランスの良い落とし所を見つけましょう、というのも実はいけない。 じゃあ「何処に答を見出すのか」…

スピード・コンプレックス

最近ジジェクの動画をいくつか見ていて思ったのだけど、軽快なトークというのはそれだけで「速度の象徴」だ。僕みたいに鈍臭いトークしかできない人間とは訳が違う。 要するに評論家レベルの言論をリアルタイムで展開できる評論家と、本の中でしか展開できな…

答は繰り返される

PSAwardsで小島監督がドストエフスキーと全く同じことを言った。「アイディアが思い浮かんだら書き残して行くのか」という問いに対して、「良いアイディアは繰り返されて上書きされていく。だからあえて書き残さない」と。 基本的にこの考え方は正論だし、第…

如何にして神に背を背けるか

シンプルに考える、壁にぶち当たる、複雑に考える、これが負のスパイラル。複雑に考えれば問題は大抵クリアできるけど、現実性は削ぎ落とされていくただの「逃げ」である。独創性という言葉とこれを結び付けると単純なカルト否定になっちゃうが、断片的に正…

創作の勘所

科学と違って芸術に推敲の終わりはなく、その無限性の彼方で精神分裂と闘うことを「芸術行為」と呼ぶのだと思うが、最近僕はバランス主義者に転じたのでタテの思考とヨコの思考を上手く切り替えられるようになった。 ヨコの思考というのは「視点の増殖」であ…