BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

天才

可能と不可能のアウフヘーベン

『絶対はない』という前提から開始した場合、世界は二値にならないので、『impossible is nothing』を0と1と9で記述することができる。初めに0.XX...XをA(可能性)、0.YY...YをB(不可能性)とする。 A+B=1とした場合、X=0且つY=9の時その位は否定、X+Yで位…

エンド・オブ・バランス

繊細でったり美麗であったりする旋律って、それに対応する繊細であったり美麗であったりする人間の音楽という固定観念が先ずあって、対照的な強者がそのタッチに触れることは、音楽史に詳しくないけどあまりないように思う。 ところで僕が最近よく考えるのが…

詩とブランディング

過去の経験則から大体の当たりをつけられる状況の多様化は、小説家を現実の最果てに誘う。寺山は『天才だけが遠くへ行ける』みたいなことを言ってるが、この当たりを外せば誰でもいくらでも遠くへ行けるが、そこに現実性はなく、深みもなく、求めるものが違…

ラストステージとしてのあるがまま

自然状態を神聖視する思想がある。どうやらルソーはそう主張していないみたいだが、この考え方はある程度流通しているように思う。でも自然状態って言い換えればアンフォルメル(Chaos)だから、自由や幸福なんてそこにある訳がない。 自然状態の対義語はお…

自分自身のオーバーライト

無意識的に行っていることは意識的に行ってきたことのハードウェア的な焼き付きだ、という説を過去に見た。例えば何の知識もなかった頃、僕は自転車のブレーキをかける時右手からかけていたが、リアブレーキ(左手)からかけるべきだということを知り、そこ…

最後という言葉は幻想だ

音楽制作の一手にも、小説執筆の一手にも、果たして神の一手は存在するのか。仮に歴史的終末における最高傑作への一手一手がそれだとするならば、そこには多分に『本質の見透かし』が要求される筈で、トライアンドエラーの無限分のボリュームがその一手には…

選民思想とクリエイターズ・ハイ

『運動―→理性―→惰性―→習性―→自動』という活動モデルを想定してみたのだけど、この前半を活動領域、後半を天才領域と呼ぶとして、ほとんどの人は「惰性以降習性未満」で散る定めだと思う。要するに、活動的(あるいは鬱的)ではあっても天才的(あるいは躁的…

ロッククライミングに見る天才の定義 Pt.2

ロッククライミングの話の続きだけど、標高0m地点(要するに地上)からのルートの見え方と昇り方、標高1000m地点からのルートの見え方と昇り方は、基本的に同じ筈だ。 要するに、標高0m地点=凡人領域と、標高1000m地点=天才領域とでは、実は基本的に「同じ…

ロッククライミングに見る天才の定義

職場で「いえいえ」と発言した時に思ったのだけど、僕の言葉遣いは割と曖昧で、言葉の本来の意味から外れてることもよくあると思う。それでも「いえいえ」という言葉が出てきたのは、「これでイケるんじゃないか」という直観が来たからだ。 日常会話というの…

『狭き過去(文法)』と『広き今(文脈)』

VITAのビームスデザインのポーチを買った。そこで漠然と思ったのが、デザインはまあまあいいんだけど、結局「既存のデザインのデジャヴでしかない」ということだ。ビームスは服も好きなんだけど、最近「ハイ・ユニクロ」みたいなイメージになりつつある。 要…

インスピレーションはクローズドなリンク

何となく思ったのだけど、新メニューを考えるのが創作だとして、「この食材は絶対違う」というのがあるだろう。例えば焼きそばの亜流を考えるとして、そこに納豆を入れるとか、普通はまああり得ない訳だ。 この「論外の選択肢」を外していくのは当然として、…

松本人志と宮本茂の対談

今更ながら松本人志と宮本茂の対談を見た。発言の一つ一つに「第一線から見た意見」が窺えて、すごく楽しかった。 但しクリエイティブな成績を残してるから発言に重みが宿る訳で、同じことを例えば僕が言っても何の説得力もないだろな、とは思った。そういう…