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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

ロール!ルール!ロール!

厳密にはもっと遡ることができるだろうけど、操作性の難をゲームの難易度とすり替えてしまうことを堂々とやり始めたのって、バイオハザード辺りが最初だと思う。


当時は「思い通りに動かせないから怖いというのは卑怯だ」と思ったが、今ではそれも立派なゲームの文法と言える所まで昇華されているし、これは現状のAIのレベルとバランスした結果なんだろうな、と今更ながらに思う。


AIが人間と同レベルの動きをする場合、このバランス感は崩壊する。AI側は思い通りなのに、プレイヤー側は思い通りじゃないからだ。今は相互に思い通りじゃないからこのバランスを崩す必要はないし、AIをハイレベル化する必然性はあまり感じない訳だ。


次世代機の主戦場はAIと言われてるらしいが、これだけを立てても絶対に片手落ちだ。人間と同レベルになるのはまだまだ先としても、もしそこまで行けて操作体系が今のままだと、ゲーム難易度だけが飛躍的に上がる結果に終わると思う。


そこから導かれるのは、操作体系のハイレベル化とAIのハイレベル化は原則不可分だということ。だからAIのハイレベル化に対応できるような操作体系のブレイクスルーが今求められていて、それはキネクトなんかでは力不足だけど、次のゲームの可能性はそういう所から始まる気がする。


AIは伸び代がまだまだ在るけど、操作体系はコントローラ依存だから、結構煮詰まってる。そしてこの二つの拮抗=難易度のバランスが、少しずつ崩れ始めてるのではないか。AIはハイレベル化するのに操作体系が置き去りだと、どこかでチート的にバランスを取らなきゃいけない。


それこそが「キャラクター」であり、ルールプレイの第二のステージかもしれない。今回は昨日と違ってルールプレイに関して否定的な立場ではなく、難易度調整の新しい形を模索する刺激的状況になるんじゃないかと期待している。


多分知ったかだけど、難易度調整の中核は操作体系を含んだルール優先で、AIはそれに適応させる流れのように思う。厳密には両方の側から微調整していくんだろうけど、AIから新作を構想するというのは僕にはちょっと想像できない。


これが次世代機になりAI優先でゲームが構想され、ルールをそれに適応させていく潮流も出てくるとして、それって意外と合理的のような気がしないでもない。現実の計画というのは概ねそういうものだからね。自分だけでは成立しないし、自分が先でも成立しない。


AIがここまで頑張ってくれるんだから、ルールにもっと都合を付けましょうだとか、AIがここまで強敵なんだから、キャラクターの水準もここまで引き上げましょうだとか、「初めに敵在りき」でゲームを構想するのは、現実における知略全般の近似な訳だ。


知略が敵に先立つことは在り得ないけど、敵が知略に先立つことは当たり前だ。じゃあ今までのゲームデザインにおいて敵が後付けだったのは何故かと言われると、結局アメコミ的ゲームのニーズが在って、超人が誰にでも勝てる「敵のローレベル化」が求められていたからだ。


でもその延長線上に在る無双のようなゲームで、この流れにはみんな懲りた筈だ。かと言ってダークソウルのような難易度がスタンダードになるとは思えないけど、敵のハイレベル化というのは最近のトレンドだし、これは純粋な「ゲームの進化」だと思う。


あるいは「プレイヤーの進化」と言ってもいいかもしれないが、そこから生じるゲーム性というのは確実に在って、ここにも一種の拮抗が在る。例えば鉄騎というゲームが在ったけど、あのコントローラはプレイヤーの進化よりも速過ぎた訳だ。


もちろん細かい生活事情の話にもなるんだけど、以前書いたようにコントローラの発展というのはゲームの底上げの保障だし、クリエイターとユーザーの契約みたいなものだけど、鉄騎にはその契約が完全に欠けていた訳だ。


クリエイターサイドだけが理想を横溢させるのは実は簡単だ。コントローラのボタン定義をどんどん複雑化すれば凄いゲームは誰にでも構想できる。でも、ちょっと待てと。そんなややこしい操作体系プレイヤーは着いていけませんよ、敷居が高過ぎますよとなる。


言わばファミコン時代にバイオハザードが出るようなもので、グラフィックの感動は絶対在るだろうけど、僕が感じた理不尽も目立ちまくる筈なのだ。あれが文法足り得るには結構時間が掛かったと思うし、僕の比ではないぐらい、ユーザーサイドの心構えがファミコン時代には満たされていないと思うのだ。


まあバイオハザードは「乗り越えるだけのもの」を感じさせられたから、例としてはちょっと間違ってるかもだけど、言いたいことは何となく分かるだろうか。要するにクリエイターだけが突っ走ってもいけないし、ユーザーが足し算を覚える前に掛け算を提示してもいけないということ。


少し脱線してしまったが、話を戻そう。PS3やXboxのコントローラが現時点での暫定的なゴールとして、ここから派生するゲーム性をユーザーは大体網羅した、即ち基本的な算術は大体マスターしたと思う。


そこで次に来るものは何かと考えた時、AIのハイレベル化という「応用」だろう。その潮流がダークソウルやモンスターハンターなどに現れてる気がするが(共に難易度的な意味で)、そこからゲームを構想するという選択肢がそろそろ現実味を帯びてくる。


即ちユーザーと共に歩んだ道の、新しいステージが見えてきた訳だ。ゲームとしての超人が斜陽になるとは思わないが、ルールとロールの乖離はますます進んでいくと思う。そしてロールの台頭の延長線上に、ゲームとしての超人が甦る逆説が在ると僕は思うのだ。


ダークソウルはロールプレイの新しい形を提示したと思うけど、これは言い換えれば「ユーザーとクリエイターのハイレベルな拮抗」だろう。でも文化は何一つ停止せず、進んでいくものだから、クリエイターは革めて少し背伸びしなきゃならない。


そうして次の地平に映るものは、繰り返しになるがAIのハイレベル化であり、そこへユーザーを誘導する為の小径としてダークソウルは機能する気がする。その穴の先で待つのが人間並みのAIと仮定すれば、ゲームデザインは超人を求めざるを得ない。


即ち操作体系のブレイクスルーが起こるまで、再びゲームとしての超人が甦る訳だ。結局それも「何かの繋ぎ」のような気はするが、次の主戦場は実はルールプレイなのかもしれないな。そしてその先にダークソウルのようなロールプレイが革めて再来し、マトリックスになる、と。