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THINK ABOUT SOMETHING.

内向性のメカニズム

今日は何となく思う所が在って、僕はユングの外向か内向かの定義だと、後者の内向だ。そこから更に四つに分岐するけど、取り敢えず基本的には内向型だ。


これは言い換えれば「内向強者だが外向弱者」だということで、内向はともかく、外向的にはまるでダメな訳だ。僕と同じ類型に宮本茂宮崎駿が居るけど、あれぐらいの外向性が内向型の限界で、その遥か先をゆくさんま的人物は、内向型からは先ず現れない。


宮本茂宮崎駿も明らかに成功者だから、それが外向性を伴わせてるというのも在るだろう。奥底(内向)と表層(外向)が通じているというか、顔に正体が書いている訳だ。でも僕の場合只の一般人だし、内向の奥底なんて表層からは誰にも分からない。


外向強者と内向強者が世に放たれて、どちらが強くなるかと言われれば大概の場合、前者だろう。内向強者の強さって大体芸術的なものだと思うけど、それが社会的地位に達するのは受精のメカニズムと同じぐらい難しく、しかし唯一的な受精者に限り外向強者の強さを遥かに突き破る。


それが芸術的成功ということなんだろうけど(「さんま的になる」という意味じゃないよ)、外向型はそんな大層な数万分の一の大穴馬券に賭けなくても、全員が全員社会的には安定している。内向型は存在自体が大穴で、レース中に精神病も起こすわ自殺もするわで波乱万丈の人生が宿命付られてる。


偶にだけど、本当に偶にだけど、そういう意味で外向型に生まれたかったと思う時は在る。奥底と表層が開通して自信に満ち溢れる、そこまで行くのに、内向型は外向型どころの騒ぎじゃない程苦労する。外向型は多弁だからその弁の数だけ正体が確定するけど、内向型は喋らないから色々拡大解釈されるしね。


極論すると外向型は表層自体が本質(表層=奥底)だから、剥き出しで歩いているようなものなのだ。良くも悪くもね。内向型はそうじゃなく、奥ゆかしいと思われる所まで行って初めて内と外が開通し、自信が生まれる。リリー・フランキーの無口みたいなもので、無口は洞察力とセットで認められる訳だ。


時折見せる鋭い洞察が、無口に拡大解釈を許さない。残念ながら僕はその領域じゃないし、ツイッターと違って日常では結構テンパる。だから外面だけで物事を判断する人には、外向的な器用さがないから只のドジと思われがち。実際そうかもしれないが、この負の連鎖から抜け出したい気持ちは常に在る。


それが今の文学の執筆に繋がってるのだとすれば、凄くしょうもない動機じゃないか……。でも人間は九割九分「矮小な動機で動いてる」と最近よく思うし、だからまあ、いいか。内向的な性格で今は色々損してるけど、今日も頑張ろう。