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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

ゲームフォーマットの頭打ち

グラビディデイズの体験版をプレイしたけど、これはinFAMOUSの電気が重力になったバージョンという感じだ。この操作感でクエスト型のオープンワールドを楽しめるならかなり期待だ。


少し話は飛躍するけど、一つのアイディアで以後全ての後続がそれに続かなきゃならないような、そういうブレイクスルーはもう起こらないのかな。と言っても時のオカリナのZ注目ぐらいしか例が思い浮かばないんだけど、時代が進めば進むほどそういうものはなくなっていくと思う。


すっとそんなものが出てくる訳がないから、クリエイターはみんな独創性に行くしかなくなる。グラビディデイズも多分そうだろう。そして過剰化された独創性合戦からごくごく稀に、フォロワーを生み出す普遍性が生じる。そう考えると普遍性というのは独創性の奇形ということになるのかな。


独創性でクリエイティブな世界は廻ってるけど、それが周期的な普遍性の浮き沈みを発生させず、独創性に沈みっぱなしになってるのが、最近のゲーム業界のような気がする。そりゃユーザーも離れていくと思うわ。


これは友達の考えだけど、本とかCDはフォーマットがずーっと固定だから、新旧の名作に差はあまりないけど、ゲームの場合今更マリオをやろうとは思わないし、それなら僕はダークソウルでもやってる。でもそれが最近になって固定に近付いてきたと思うんだ。


要するにグラフィック競争が飽和して、ゲームデザインの歴史も一段落して、これからの名作は古典として十年後でも楽しめるようになると思う。言い換えれば10年代と20年代の間にフォーマット的な差がなくなっているような気がする訳。


そしたら尚更クリエイターは独創性に逃げるしかなくなる。フォーマットが画一化されて普遍性が一向に浮いてこないんだから、もはや「新しい王道」なんてものは諦めてしまう。完全な頭打ちとは言わないけど、ゲーム業界の第一次カンストが今だと思うのだ。


次はホログラム技術だとか、マトリックスみたいな仮想現実だとか、そういう「ゲーム外との連携」でフォーマットがもう一度開かれると思うけど、それまでは「自分のやりたいものを造る」という消極的オリジナリティーの時代(停滞期)に入る筈。


これは一方で正しい考え方なんだけど、「時代を変える」ぐらいの意気込みがないと積極的とは言えないと思う。それも含み込んだ発言ならともかく、ほとんどの場合その逆で半分諦観の入った発言だからね。


グラビディデイズは確かに楽しみなんだけど、そういう意味で子供の頃に在った胸が時めくようなワクワク感には届かない。SFC時代のスクエアに対する期待感はすごかったけど、それにも及ばない。あの頃はいつゲームに革命が起きても不思議じゃない雰囲気だったし、あの感覚をもっかい味わいたいぜ。