読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

キレイキレイの虚構性

雑感 ディレクション 批評 ゲーム 創作

漠然と思ったのだけど、ドラゴンクエストツァラトゥストラはなんとなく似ている。現実とかけ離れているのにリアリティーがあるという、純漫画的な意味で似ている。


僕はドラクエには結構否定的な立場だけど、それは局所的な限られたリアリティーしかないと思うから。ゲームというジャンルの宿命かもしれないけど、ドラクエが理由で人生に変化が起きる、というのは浅い意味ではあり得るけど、深い意味ではあり得ない訳だ。


浅はかだったり、薄っぺらかったり、幼稚だったりする展開も、ファミコン時代のゲームならゴージャスに見えてしまう。そしてそれがそのままシリーズ化し、子供だましの利かない現代まで続いたレアケースがドラクエだ。


簡単に言えば現実逃避ということなんだけど、チープなそれが成立する唯一例としてゲーム業界に君臨している。でもこれはFFなんかよりは遥かにバランスが良くて、今のFFはシリアスなのかコミカルなのかハッキリしないだろう。両方に媚びを売っているものすごく中途半端な状態だ。


僕はそこにディレクションの不在を感じる。言ってしまえばポジションだけのディレクターが居座ってるイメージで、レアルマドリード的な「逃げのディレクション」を感じる。端的に言えば只のいいとこ取りで、ビジョンから来る燻し銀の采配が感じられないのだ。


ディレクターと言うと怒られるかもだけど、そういうディレクションができるイメージがあるのは小島監督とか、堀井雄二とかだ。ブランドとトレンドをハイバランスでまとめる能力があるというか、普通ならあり得ないような選択も総合力で正当化する、そういう力が感じられるのだ。


だからドラクエは片方で否定しつつも、もう片方で大好きなシリーズの一つだ。失礼を承知で言えばチープな箱庭でチープな現実逃避をさせてくれる、そしてそこに一定のクオリティーの保障がある、他に類を見ない稀有な例だ。一方でFFはと言うと……「キレイなだけ」の保守的選択の塊になっちゃった。


FFについてはゲームデザインにしかもう興味はない。ヴェルサスとかわくわくするんだけど、それ以外は多くを望めない。でもこれは正直、会社体質的な問題のような気もするけどな。キレイキレイ病というか、どす黒いものを抱えていない人間ばかりが集まりそうな会社だもんね。


黄金期のある会社は全部そうなるのかもしれない。志望者の絶対数は稼げても本質数(なんぞこれ……)は稼げないというか、表面的なエリートばかりが集まるイメージがある。


だからディレクションができないし、みんなキレイ(安全牌)に逃げちゃう。ソニーもそうだし、スクウェアもそうだけど、今度はアップルがそうなるのかな。