BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

自由意志の証明 Ver1.6

定義
自由とは系の根であると同時に、独自の原理の出発点である


公理一
宇宙の起源と生命の起源には時間差がある


定理一
世界は物的なもののみならず、霊的なものにも満たされている


証明一
宇宙の起源の直後は唯物論的であり、一切の生命は死んでいる筈だが、死から生が生じることはあり得ない為、実態的には何者かが生きており、それは見せ掛けの唯物論を滅ぼすエーテル的なものの存在を黙示する。物性は観測可能であることから自明なる存在だが、霊性は観測不能であることから自明の存在に非ず、しかし生命誕生に到るまでの時間の差分――換言すれば独白者――は存在せざるを得ない為、それが唯物論との存在の差分を証明しており、物なるものならざるものとして霊なるものが、霊なるものならざるものとして物なるものが、この聖なる時間差の中でそれぞれ独自の系を宇宙万有に満たしていたことは明らかである


定理二
物質間に遍在する風と水を媒介とした生命活動は動的である


証明二
世界には二つの永久機関が存在し、それは風(気流)と水(水流)である。証明一で示したように、物質間に遍在するものに見えざる独白者は存在し、その独白者が自由の権化である場合、それは先ず永久機関である必要がある。自由とは一切の前提条件なき初動から来る無限性ないしは無償性であり、もし有限であったり代償を求めるのであればそれ自体で運動できず、やがて廃れる。言い換えればそれは唯物論の世界であり、永久不滅――即ち永久機関――ではない。以上のことから独白者が風と水を拠り所とするのは自然神秘的な道理であり、それを媒介とする生命活動は総じて動的(非代償的)であることが導かれる


定理三
人間を含む全ての生命は自由の根拠(内なる虚無)を持っている


証明三
自由とは系の根であると同時に、独自の原理の出発点である。この独自の原理は自由でありながらも、作用する側から反作用を受けるが、厳密には出発点そのものは全くの無影響であり、それは原理の独自性――聖なる無因果性――は虚無に由来するものだからである。仮に人間に自由があろうとなかろうと、世界が作用し続ける為には何処かに力点が必要だが、それは第一に天地創造の瞬間として存在し、その絶対の力点は世界を存続させる作用を今も尚及ぼし続け、従って第一種の自由が存在することは明らかであり、それが造物主としての神の力であり、我々の存在自体がそれを証明している。しかし物質界の作用には反作用が働き、力は減衰の一途を辿る為、世界が存続する為には第二種の自由が存在せざるを得ないことが導かれ、それが非唯物論のもう一つの根拠に他ならず、この唯物論と非唯物論の差分こそが物なるものならざるものとしての霊なるものの力(それ自体で運動する力)であり、またそれ自体で運動するものが静的なものであることはあり得ない為、動的なものの中にこそ霊なるものの住処があり、その最たる例が人間なのである


結論
故に自由意志は存在し、従って森羅万象の業は万物にある