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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

現象と認識と、その認識と対応と

少なくとも生得的現象について自分以上に理解できる人間は居ない。これは間違いない。それは大別して『タイプ』『ストレングス』『レンジ』『グラデーション』の四つで構成されているが、それを厳密に言語化しても言葉は現象そのものの等価ではないから、自分が一番の理解者にならざるを得ない。

 

例えば痛み。鞭のような痛みなのか、針のような痛みなのかだけでもそれぞれ違うし、それぞれを更に細分化もできる。強弱にしたってリアクションや比喩でしか言い表せないし、リアクションそのものが比喩だとも言える。有効域が一番説明しやすいけど、それですら完璧ではないし、推移はこれまた難しい。

 

完璧に理解しているのは現象そのものを感じている張本人でしかあり得ない。それに対してどう解釈するか(原因遡行)、あるいはどう立ち回るか(未来予知)については他者が上手となるケースもあるが、現象そのものと認識の一致で言えば『本人に勝るものなし』なのだ。

 

あまりそういうことは起こらないけど、この『現象と認識の乖離』が解釈のズレを生み、その些細なズレが見当違いの立ち回り(対応)を導くということが、医療の世界では起こり得る。乖離が少なければ少ないほどフローチャートは狭まるが、完全に一対一になるには自分が医者になるしかない。

 

翻って精神医学はどうかと言うと、これはもうそういうことが起こりまくると思う。現象と認識の乖離は当たり前、仮に一致したところで解釈は人それぞれ、結果立ち回りもみんなバラバラという、ある意味では眉唾ものの業界だ。薬がコロコロ変わること自体が探り探りやってる証拠だろう。

 

だからこれは理想論だけど、現象と認識の間に乖離のない本人が、精神万象の解釈を高い精度で行うこと(原因遡行)。そこから立ち回りを導いて、最高のフローを描くこと(未来予知)。現代の精神医療は投薬がメインらしいけど、後天的な部分に関しては本人が最高峰の医師になれると自分は思っている。

 

気質的な部分・遺伝的な部分に対しては投薬しかないのかもしれないけど、後天的な部分はやはりその後天性にカラクリがある筈で、それが時系列的に深く根を張っている場合、上辺をカット(投薬)したところでまた草は生えてくる。要するに、カウンセリングが必ず要る。

 

僕は身体医療の世界では東洋よりも西洋を信じる。だけど精神医療の世界では、西洋的なもの(即効的なもの)よりも東洋的なもの(継続的なもの)を信じる。要するに投薬は根本の解決ではなく、カウンセリングこそ本質的な治療という立場を取る。時代を逆行してるかもしれないが。

 

投薬は対象の種類(タイプ)、強弱(ストレングス)、範囲(レンジ)の三つを対象にしているが、省かれた『推移(グラデーション)』にこそメスを入れるべきだと思うのだ。僕は変身というものを原則として信じないし、グラデーションはグラデーションで以って制すしかない。

 

そこで遡行的に漸進するのではなく、予知的に漸進するというのが僕のカウンセリングのイメージだ。その為のデータベースが貧弱過ぎて、あるいはアトランダムに過ぎて、誰も落としどころが分からず投薬に逃げる。グラデーションが転回的グラデーションにならなくて、焦る訳だ。

 

でもこれは精神病に普遍性がないことを意味するのかもしれない。こういう症例についてはこういう対応が妥当、というのは身体の世界では普遍的に成立するが、精神の世界はそうじゃない。だから仮にデータベースが豊富な医師が居ても、そのアトランダムに過ぎる性質によって結局投薬に頼ってしまう訳だ。

 

これは厳密に言えば『病名の括り』が広過ぎて、個別の対応ができていないことの証拠でもある。風邪と結核を一緒くたにするような事例が、あちこちに山ほどあるんだと思う。だから精神医療の分野について「病名を闇雲に増やすべきじゃない」と思ってたけど、逆かもしれないな、と。