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THINK ABOUT SOMETHING.

原点に還る創作

ファンタジーライフをプレイして思ったこと。先ずジャンル的にはルーンファクトリーに近いし、決してオリジナルではないんだけど、雛形を置き去りにして成長したジャンルの雛形を取り戻しにいく創作が、これだと思った。


僕はゲーム好きの癖にそこまでゲーム史に詳しくないから、これは間違ってるかもしれないけど、この手のジャンルのルーツは国産だとルナティックドーンになると思う。海外を含めれば更に遡れる筈だけど、仮にここが行き止まりとして、ルナティックドーンはこの手のジャンルの雛形足り得なかったと思う。


雛形とそれ以降の関係というのは、本家と亜流の関係に他ならない。ところが本家が雛形足り得ないと、それ以降の作品は亜流になるのではなく、やり残されたパイを取りにいく。要するにタテの系譜になるのではなく、ジャンルがヨコに拡散されていく訳だ。


雛形というのは亜流の可能性を全て網羅したような、一種の金字塔を意味する訳だけど、本家がそれを怠ったジャンルは統合者が居ないから、需要を椅子取りゲームに見立てて分裂してしまう。もちろんベルセルクみたいに『遅れてきた統合者』はあり得るけど、ファンタジーライフにもその要素がある。


ファイナルファンタジーが国産RPGの雛形かどうかは横に置いとくとして、魔法の名前にいい意味で独創性が全くなく、且つ誰にも馴染みやすかった訳だけど、ファンタジーライフのリッチ、ハッピー、スターにもその要素があって、ちょっと大袈裟に言えば『雛形を回収しにいくだけの貫禄』があると思う。


要するに『自然体で最初に出るもの』で構成された作品は、普遍的で強い。そして以降の作品はそことの重複を避ける為に、どんどんシンプルではなくなっていく。普遍的なことができないから独創性を正義化し始め、悪い意味で捻り倒してしまう訳だ。


その『本来の原点』みたいなものが置き去りにされてきたジャンルを、当時は不可能だったトレンドも取り入れて、現代蘇生し、雛形ならぬ花形に仕立てる。もしリッチ、ハッピー、スターが別名称だったらそうは行かなかったと思うし、雛形(ないしは花形)というのは『決定打』の言い換えでもあるのだ。


ジャンル的に可能性があるにも関わらず、インパクトのある決定打がなかった所を、自然体で再構築する。これが『捻る』方向の再構築であれば椅子取りゲームに終わってしまうし、今敢えて自然体で再構築できる可能性を探ったレベルファイブは、視点に長けているなと思いました。