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THINK ABOUT SOMETHING.

ファンタジーライフのスクリプト

僕は昔「隠れんぼのゲームは造れないのか」と考えたことがある。ゲームがオンライン化していく傾向の中で、今なら成立するかもしれないという所から発想を始めた訳だけど、結局すぐに「これは無理だな」と覚るようになった。


先ずゲームの仮想世界の中で隠れる時、それはクリエイターの用意したスクリプト依存になってしまう。逆に言えば「これは絶好の隠れ場所」と思っても、そこにスクリプトがなければ隠れることはできない。だったら探す側はゲーム内のスクリプトを総当りするだけの、何とも味気ないゲームになる。


このことをファンタジーライフをプレイしていて思い出したのだけど、例えば絶好の伐採場とか絶好の採掘場とか、これも単純に総当りで見つけられてしまう訳だ。というか生産系のライフをまだやってないので半分憶測なのだけど、それを回避できるだけの発明はないと思う。


別にファンタジーライフに限らないけど、そういう絶好のポイントの探し方は機械的で、全然つまらない。UORまで僕はUOをプレイしていたけど、あの頃の青鉱石も膨大とは言え、総当りで見つけられたし、そこに職人的な嗅覚みたいなものは、全くと言っていいほどない訳だ。


何が言いたいかと言うと、総当りで見つけられる所まではまだいい。但し総当りの量を膨大(それこそUOを遥か凌駕するほど)にして、事実上総当りを諦めさせるようにし、その上で一定の法則性に則ってアタリを付けていかないと、そもそも見つけられないという設計が一番いい。


例えばファンタジーライフは鉱山そのものに対し採掘できないと思うけど、これを1ドット単位で採掘できるようにし、闇雲に総当りするだけでは絶好のポイントは見つけられないようにする。全ての地形を詳細に観察し、一定の法則性を見つけないと一向に見つけられない面倒な仕様に、敢えてする。


例えば2Dゼルダ(3Dもだったかな……)で爆弾で爆発させられる壁は剣で突くと音が違ったので、究極的には壁に一切特徴がなくても、総当りでそれを見つけることはできた。でも現実には法則性があって、全てではないけど原則亀裂が入ってる壁がそれなので、そこから判別できた訳だ。


これはちょっと露骨な例だけど、総当りを諦めさせるような面倒さと、しかし救済策足り得る法則性と、その両方を立てることができれば、仮想世界の中を探検している感覚が全然違ったと思うのだ。時のオカリナのスタルチュラにはその要素があったし、視覚と聴覚で世界を詳細に観察する必要があった訳だ。


でもファンタジーライフにはその要素はなさそうで、スクリプトの総当りだけが正解という内容になってると思う。そもそも全てのスクリプトが丸見えだし、その中でレアなスクリプトを見つけても、達成感が全然ない。スタルチュラのように隅々まで見渡す世界との接し方がこのゲームには多分、欠けている。


『スクリプトの総当り』と『スクリプトっぽいものの総当り』は、全然意味が違う。前者と後者に乖離があればあるほど、現実の近似というか、職人的な技術が要求されるようになるし、それは当然難し過ぎてはいけないけど、NPCの導きで辿り着ける最大公約数をレベル的な落とし所にすればいい。


もちろんスクリプトが丸見えであることにもメリットはあると思う。例えば友達と話題を共有する時に障壁がないし、結果攻略データのスムーズな同期が可能になるだろうし、あるいは万人向けのそのゲーム性がゲームをより面白くすることにも繋がると思う。ユーザー数と面白さはある程度比例する訳だから。


でも個人的にはゼルダで謎を解いた時の達成感と、生産系ライフの穴場探しとを、関連付けてほしかった。丸見えなスクリプトの総当りでは探検がすぐに終わってしまうし、一巡で攻略完了ということにもなりかねないし、何度も何度も巡回して初めて世界が分かってくる、という構造の方が本質的には面白い。


まあポケモン的な思想とダークソウル的な思想が相容れ得ないのは分かってるんだけどな。前者がユーザー数から来る面白さ、後者がユーザー数に依存しない本質的面白さとした場合、やはりレベルファイブは全体的に前者に向かってるなー、と個人的には思いました。