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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

ラプラスの悪魔的に

漠然と考えてたのだが、ある行動からその心理的構造を逆算する読心力と、ある企画からその未来予想図を算出する構想力は、等価なのかもしれず、前者が『過去を遡る行為』とすれば、後者は『未来を辿る行為』と言えるだろう。


この二つの何が共通してるかと言うと、それは『正解の近似を筋道立てる』という点だ。前にも書いたけど、あらゆる動機は複合的なものだから、正解そのものは本人ですら不可能だし、その近似の筋書きを描いていくのが、過去予想ないしは未来予想の限界だと思うのだ。


『最も筋の通った筋書き』が『事実上の本筋』であり、その推敲作業は過去も未来も予想する。これは何か一つでも読みがカチっとはまれば、二つ三つとスナップされていくし、その吸着先が『本当の本筋』であるとは言い切れないが、最初の一点が妥当であれば基本的にそうなるだろう。


逆に最初の一つ二つ、あるいは三つ四つが間違っていても、いくつも数を撃っている内にかすったり、またいだり、逆に遠のいたりすることで、本当の本筋は体感(模索)できる。それができればそこから前後にスナップしていくことで、過去にも未来にもラプラスの悪魔が可能になる。


ちょっと最初に言いたかったことからズレたので、本題に戻ろう。僕が今日何を言いたかったかと言えば、それは過去を読むことも未来を読むことも等価であるならば、『人間を洞察する』という生産的行為が、そのまま人生の実践的行為(未来予想)に繋がるということなのだ。


この持論が正しければそれはとても素晴らしいことだ。よく勝負事で『勘を取り戻す』という言い方をするが、過去にそれができれば未来にもそれができるし、その過去は最早無限にアーカイブ化されているから、未来の勘を取り戻す教材は無限にあるということ。


人間を洞察できれば生活が円滑化されるし、生活が円滑化されれば未来設計も容易くなる。即ち上げ膳据え膳で円滑化されているのではなく、自らの力で円滑化している人間は、過去も未来も読むことができる。人間は人間の接触なくして生きていけないし、それが無料にして未来への最高の教材になる訳だ。


これを『現実的ラプラス』と名付けるならば、ある意味それは『細部の支配者』を意味する。スナップという言い方をしたのでピンと来ないかもしれないけど、本当の本筋は一筋(a line)だから、縦横無尽に存在する軸の中で一つの軸を取るという行為は、無限分の一を取る行為に他ならないからだ。


今日の一連のツイートが本当の本筋かどうかは分からないけど、ある程度の近似は取れていると思う。あちこちに視点が駆け巡ることで抽象的且つ実感的に、物事の本質が立ち現われていると思う。そしてこの9つのツイートが輝く一筋(a line)をトレースできていれば、世界はまた面白くなるかもな。