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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

敷居放棄に到るまで

雑感 ゲーム 創作

僕は『分かりやすい企画』というのが基本的に好きじゃない。最近で言えばソウルサクリファイスの救済と生贄みたいなシステムがそれだ。


以前もつぶやいたけど、分かりやすい企画というのは説得力があるから基本的に通りやすい。でも本当に熱いのは『簡単には言い表せないがなんか凄い』という企画の方だ。あるいは企画書の段階では何が面白いのかさっぱり分からなくても、実物になると感動するような企画の方だ。


でもこれも問題は問題で、一歩間違えると今のアーマードコアのような結果に終わってしまう。だから理想は分かりやすさをシリーズ化し、その枷を次第になくすこと。例えばFFが悪例で、DQが好例だ。単純系と複雑系だと絶対後者の方が面白さの最大値は上だけど、いきなりそれをやってはいけない訳だ。


FFは支持ユーザーを担保に面白さの最大値を追求する権利があるのに、昔のFFを超えることができない。DQは賛否両論あれど、なんだかんだで最新作が最高傑作という理想を体現している(オンラインは分からないけど)。これは結局俯瞰できるディレクターが居るか居ないかの差のような気がする。


前述した枷というのは言い換えれば『敷居』だけど、これは支持ユーザー数に反比例して実効値は落ちていく。例えばファミコン時代にFF12が出たとしても、段階が飛び過ぎてるから中々敷居が高いと思うけど、支持ユーザー数が多い場合はそのコミュニティーの存在によって敷居の実効値を落とせる訳だ。


この按配は正直凄く難しいし、ディレクターのさじ加減一つで決まると思う。シリーズを重ねて本質を剥き出しにしていくタイミングが、暗黙の了解をツイストする瞬間が、相当難しいし、そのカタルシスが実った稀有たる例が、時代的な後押しも含めて言うなら時のオカリナだったと思うのだ。


まあ分かりやすさをシリーズ化しなくてもメーカー単位で敷居は落とせるんだけど、シリーズものの最新作ほどの実効性はないし、その特権を利用して『本質=枷なき面白さ』を追求する。そういうものが企画的には一番面白いし、最初から革命を目指してもそれは先ず実らないだろう。


その辺の感覚を掴めてるゲームクリエイターと言えば、堀井雄二の他に小島監督もそうだと思う。宮本茂もさすがにこの感覚は掴めてるだろうけど、ちょっと敷居を落とし過ぎてる感は否めない。ゼルダピクミンもマリオも敷居放棄できる立場に居るんだから、偶には冒険してほしい気がするな。