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THINK ABOUT SOMETHING.

命名と形容

あらゆる物事には名前を付けることができる。その名付け方は他と重複せず、それそのものの唯一性を表しているのが理想で、例えば自分の住所は日本だが、更に突っ込んで大阪に住んでいるという方が重複率も落ち、唯一性も高くなる。番地と表札まで行けばほぼ完璧だろう。


モハメド・アリは『蝶のように舞い蜂のように刺す』という形容をされているが、これは正直全然妥当じゃないと個人的には思っている。キャッチコピーとしてなら秀逸かもしれないけど、『形容』という意味では全然妥当じゃない。要するに表現が表面的なので『重複しまくる』訳だ。


名付け易いものが表層的なもの、名付け難いものが深層的なものとして、前者は誰にでも捉えられるという意味で普遍的だが、唯一的な表現は明らかに後者の方にある。それは一見しただけでは捉えることができない『隠し味』のようなもので、それが表層的なものにアイデンティティーを伴わせる訳だ。


例えば料理を出されて「何々の宝石箱や〜」とか言うけど、あれは完全に表層的なものしか捉えてない。アリと一緒で誰にでも分かるから受けはいいんだけど、そこにはアイデンティティーが全く伴っていない。但しそれが要らないという訳ではなく、見た目の表現と同時に構造の表現も本当は必要なのだ。


僕はボクシングに全く明るくないけど、アリがあの一言で形容し切れるとは、全く思わない。見た目(表層部分)の描写としては見事だと思うけど、そのバックストーリーというか、それをそれ足らしめている構造(深層部分)の描写が欠けているから、理解の振り幅が大き過ぎることになる。


この理解の振り幅を一択的に収束させるのが評論であり、その為には名付け難いものを的確に捉え、妥当な言葉を与えてやらなければならない。言わば『そのまま』を表現するのではなく『そのもの』を表現すること、それが本来の形容であり、後者は前者の『命名(ないしは短縮)』と紐付けられる。


ボクシングの強い選手は肉体や精神面もさることながら、一見しただけでは捉えることができない『隠し味』を意図的に行っているところがあると思う。僕は格闘ゲームに少しだけ明るいけど、何故か毎回対空されるというような状況には、必ず対空する側のリズムというか、試合運びが裏に隠されている訳だ。


それをきっちり捉えておかないと対戦対策をすることは不可能だし、何回対戦しても『理解不能のリズム』に飲まれるのは目に見えている。アリで言えば蝶のように舞えなくするとか、蜂のように刺せなくするとか、そういうことではなく、ペースメイクされる根本理由に触れておかなければならない。


冒頭と逆のことを言うけど、アリのあの形容は正しい。但しそれは『そのまま』であって『そのもの』ではない。アリの対戦者は『そのまま』に惑わされる限り『そのもの』にやられる。即ち如何なるジャンルであれ、強くなる為には『そのもの』を見極める力が必要なのである。