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THINK ABOUT SOMETHING.

自由意志の証明 Ver2.0

定義

自由とは系の根であると同時に、独自の原理の出発点である

 

公理一

宇宙の起源と生命の起源には時間差がある

 

定理一

世界は物的なもののみならず、霊的なものにも満たされている

 

証明一

宇宙の起源の直後は唯物論的であり、一切の生命は死んでいる筈だが、死から生が生じることはあり得ない為、実態的には何ものかが生きており、それは見せ掛けの唯物論を滅ぼすエーテル的なものの存在を黙示する。物性は観測可能であることから自明なる存在だが、霊性は観測不能であることから自明の存在に非ず、しかし生命誕生に到るまでの時間の差分――換言すれば独白者――は存在せざるを得ない為、それが唯物論との存在の差分を証明しており、物なるものならざるものとして霊なるものが、霊なるものならざるものとして物なるものが、この聖なる時間差の中でそれぞれ独自の系を宇宙万有に満たしていたことは明らかである

 

定理二

霊なるものはそれ自体で運動する永久機関である

 

証明二

自由とは系の根であると同時に、独自の原理の出発点である。この独自の原理は自由でありながらも、作用する側から反作用を受けるが、厳密には出発点そのものは全くの無影響であり、それは原理の独自性――聖なる無因果性――は虚無に由来するものだからである。仮に人間に自由があろうとなかろうと、世界が作用し続ける為には何処かに力点が必要だが、それは第一に天地創造の瞬間として存在するもので、しかしその初動者――即ち神――は物なるものとして行方不明であるか、あるいは霊なるものとして観測不能であるかのどちらかである。仮に前者が真である場合、第一種としての自由は天地創造と同時に散り、それ以降に一切の自由がなければ反作用の原理が働いて、力は減衰の一途を辿る為、世界が存続する為には第二種の自由が存在せざるを得ないことが導かれるが、それが非唯物論のもう一つの根拠に他ならず、この唯物論と非唯物論の差分こそが物なるものならざるものとしての霊なるものの力(それ自体で運動する力)であり、それは言い換えれば一切の前提条件なき初動から来る無限性ないしは無償性であり、もし有限であったり代償を求めるのであればそれ自体で運動できず、やがて廃れる。言い換えればそれは唯物論の世界であり、永久不滅――即ち永久機関――ではない。かくして反証的に霊なるものは永久機関であり、不滅の自由であることが導かれる。また後者が真である場合、第一種としての自由は天地創造以降も延長され得るが、そのような自由の行使者は霊なるものとしての独白者を意味するもので、万物がそれを親とする以上万物にもその自由が宿らざるを得ない(証明三を見よ)。即ち世界の誕生それだけでは神以外のものの自由は保証され得ないが、世界の中に永久機関足り得る原理――性交という名の天地創造――があることそれ自体が万物の自由を物語り、それは総じて創世の縮図を意味するのであり、『終わる天地創造』は神だけが自由(神性)を所有する世界観だが、『永遠の天地創造』は万物に自由(神性)が宿る世界観なのである

 

定理三

親要素の属性は子要素へと遺伝的に引き継がれる

 

証明三

証明一で示したように、生命は霊なるもののある帰結として誕生する。そしてある固体aが気体aに昇華した所でその属性は不変であるように(三態の一)、あるいは人から鳥が生まれたり、鳩から鴉が生まれることがないように、親要素の属性は子要素へと遺伝的に継承され、それが置き換わることはない。この霊なるものの属性とは永久機関――不滅の自由――であり、天地創造への意志――性交への意志――であり、従って親要素の霊なるものの子要素としての肉なるもの、即ち受肉を果たした生きとし生けるものは総じて自由に属する宿命なのである

 

結論

故に自由意志は存在し、従って森羅万象の業は万物にある