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THINK ABOUT SOMETHING.

モンスターは死せり

原型は違うけど、昔《無邪気さは、無敵なのさ。》というコピーを考えたことがある。このコピーに対する当時のイメージと今のイメージが変わったということについて書く。

 

このコピーは《夢に敵無し。》という、漢字率も含めお堅い文字列から出発したのだけど、自分が考える夢のイメージは《それ以外の全てを忘れて、それが最高であるならば、それが夢だ》というようなもの。セックスとかもそうで、そのときのエネルギーは無敵みたいなもので、他を寄せつけない何かがある。

 

これが当初の無敵のイメージだが、しかしこの無敵はポップなイメージじゃない。どちらかというと無我夢中で踏み外せばレイプでも犯してしまうようなイメージを含んでいる。正気と狂気の際の、天国にでも地獄にでもどちらにでも振れるところを指し示している印象だった。

 

ところで最近自分はつくづく《自己欺瞞はいけない》と思うようになった。例えば誰かに批判されて、真っ当なのに悔しくて反論し、自分の非を認めない不誠実さや、自分の弱点に気づき、正当化できるストーリーを作る為、平気で自分に嘘をつく屁理屈などがそれである。

 

他人への嘘は構わないが自分への嘘、つまり自己欺瞞はいけないということを最近よく思うようになり、嘘をつきつつもその嘘を自覚していればいいのだが、嘘をつきながら本当のことを語っているかのように自分を思い込ませるのが自己欺瞞。言い訳なんかが正にそれ。

 

言い訳や理由付けというのは決して人を成長させない。自分を守るという敵意があるから敵をつくる。翻って言い訳も理由付けもしない、自己欺瞞しない人は周りに敵をつくらず、その相手を承認できている状態。邪気があれば敵になり、無邪気ならば敵はない。あるいは《素直ならば》と言い換えてもいい。

 

正しいことは正しいと受け入れ、間違っていることは間違っていると素直になる。これをやり続けると誰に何を言われてもまるで動じない自分と、周りに敵がひとりもいない自分ができてくる。この境地のことを今は《無邪気さは、無敵なのさ。》と考えるようになったのだ。

 

糸井重里の世界観はマザーを見る限り、この《無邪気さは、無敵なのさ。》を体現していると思う。普通のRPGと違うのは《最強ゆえに無敵》ではなく、《敵無しゆえに無敵》という主人公が世界を救うところ。前者はやっつける相手をモンスター化し、後者はただただおちゃめなやつらと見做す。

 

前者の無敵が三島由紀夫とすれば、後者の無敵が糸井重里かもしれない。なんとなく前者は極めて困難で、後者はシンプルと思いがちだけど、そんなことは全然ない。これは言い換えれば《自分で自分を守らない》ということだから、他者をモンスター化するような逃げ場はない。

 

実際は悪いのに《自分は悪くない》と考える場合、相手がモンスターになり、実際は悪いのに《相手は悪くない》と考える場合、自分がモンスターになる。無邪気というのは無欺瞞とも言い換えられるから、良いものは良い、悪いものは悪いと見做すだけのこと。

 

そうすればモンスターは全滅するが、これは並大抵のことではない。もちろん向こうからイヤでも食い込んでくるような悪者はいるけど、ここで《相手は悪くない》などと考えず、《悪いものは悪い》と見做せばいい。そして相手も《自分は悪くない》などと考えず、《悪いものは悪い》と見做せばいい。

 

この原理を遍く行き渡らせることができれば、世界からモンスターは全滅する。個人ですら遥かに難しいことを行き渡らせるなど夢のまた夢だが、マザーシリーズに根付いている思想はこういう感じのような気がするし、糸井重里の生きかたもそんな感じがするな。