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THINK ABOUT SOMETHING.

スピード・コンプレックス

最近ジジェクの動画をいくつか見ていて思ったのだけど、軽快なトークというのはそれだけで「速度の象徴」だ。僕みたいに鈍臭いトークしかできない人間とは訳が違う。


要するに評論家レベルの言論をリアルタイムで展開できる評論家と、本の中でしか展開できない評論家の決定的な差を垣間見た気がするのだ。この比喩で言うと自分は評論家じゃないけれど、確実に後者だ。


僕は常々「作家とは速度の象徴でなければならない」と思ってきたが、何故なら千年を学問に、千年を洞察に、千年を創作に費やすことができれば誰でもドストエフスキーは超えれるからで、他人が三千年かかるものを百年以内に成し遂げるのが所謂「大作家」なのである。


だから僕は本来前者の評論家になりたいのだ。前者の評論家がその速度を紙上で展開すれば後者に勝ち目はない気がするからだ。創作論で一点豪華主義的な思想を展開したのもそのコンプレックスから来ていると思う。


ただ一つ救いがあるとすれば「一点豪華主義は創作を普遍化する」ということで、一流作家でも三流作家でも生涯をかけて創作すれば分け隔てのない聖域に到達する、というのが僕の個人的にして楽観的な見解。即ち究極的にはライフワークという奴は一切の速度を無効化してしまうのだ。


ボディービルディングの原理が三島の言うように肉体から偶然性を追放することであるならば、その天井は誰であろうと存命中に到達し得る。これはアートビルディングでも一緒だろうというのが僕の見解で、「事の本質(偶然性の消滅)」が見え始めたら「後は飛ぶだけ」なのだ。


「ゆきゆきて進軍」の精神をカルマに宿すことさえできるのならば、そこに思想がなくてもいいだろう。そこに神を置いてもいいだろう。楽園を証明することさえできるのならば、のろまな自分を肯定してみてもいいだろう。