BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

予言者の名は

「将来を展望する」という行為についてだが、楽観的な予測ばかりを立ててもいけないし、悲観的な予測ばかりを立ててもいけないし、かと言って両者の中間にバランスの良い落とし所を見つけましょう、というのも実はいけない。


じゃあ「何処に答を見出すのか」という話になってくるけど、未来予知なんてものはそもそも人間の領域じゃないし、集団の領域でもない。予測は数限りなく立てられるけど、その落とし所など誰にも分かる訳がない。


仮に予測の落とし所と未来が一致したとしても、その必然性は局限的な意味でしかなく、大局的に見れば大いに偶然的だった筈である。但し……自分でもまだ整理し切れていないのだけど、唯一未来を可視できる武器がある。それは「独創性」だ。


独創性にも色々な定義があると思うのだが、少なくとも「独創性の為の独創性」ではなく、ここでは「普遍性の為の独創性」を指している。即ち自我唯一性と非我唯一性が新しい普遍性で邂逅するような、ある意味での「神業」である。


もう少し分かり易く言うならば、独創性が独創性の為に横溢している間は「自由」に過ぎないが、独創性が普遍性の為に機能し始めればそれは「宿命」に化ける。但しそれだけではまだ足りない。独創性が普遍性に掌握されている内は神のサイコロが機能してしまうからだ。


アートビルディングにはそれを無効化する唯一性が必要なのだ。それは即ち普遍性の書き換えを意味し、或いは偶然性を追放する行為を意味し、後者で前者に達することができればそこに一切に左右されない聖域が生じるのである。


つまりニュー・オーダーである。カオスの中に未来は映らないが、オーダーの中に未来は宿るのである。しかしそのオーダーはカオスの中にこそ存在するのだから、カオスの為にカオスするのではなく、オーダーの為にカオスするべし。


芸術の話をするつもりは全くなかったのだけど、脱線してしまった。その上横文字だらけで自分でも意味不明になってきた……orz