ビデオとカメラの素晴らしさ
本職じゃないので確信はないけど、ビデオは平均値の世界で、カメラは最大値の世界だ。
例えば歯磨きしている所をビデオで撮ったとして、その映像は平均的に何の変哲もないが、逆にカメラで撮った場合撮ったタイミングによってはものすごく変顔になったりする訳だ。
つまりビデオは平均的に面白いものを撮ればフレーム単位の問題は素通りされるジャンルだが、カメラは瞬間的な最大値(または最低値)を静止画にして永遠化できるジャンルという訳だ。
世の中にアンバランスに思えるカップルが溢れているのはここに原因があり、その二人の関係性が深まっていくに従って恋愛感情の最大値はそれ以外の異性(例え絶世の美男美女でも)の平均値では太刀打ちできないものになる。
即ちそれが二人だけにしか分からない「絆」というものであり、精神的なバランス(調和)なのである。この平均値から最大値までの伸び代は想像以上に奥深いので、容姿それ自体で充足している(=平均値で終わる)ような人間は「絆的な何か」にどんどん追い抜かれていく。
そういう絆の欠けた者同士の恋愛は本当にしょうもないと思うし、同時に脆いのだ。これは性格論的な話ではなく、人間力の話なので安易に善人ぶっても何の意味もないし、そんな瞬間的に着替えられる類の人間性(善人なんかいつでも誰でもなれる)に絆は宿らない。
即ちファッション的な人間性じゃなく、ユニーク(唯一的)な人間性が求められているのである。僕の友人はドストエフスキーについて「徹底的に細部を描けば結果的に予言性が帯びてくる」と言ったが、これは恋愛でも一緒。自分を追求すれば結果的に他者をも追求することになる世界構造を信じてみるべし。