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THINK ABOUT SOMETHING.

終わらざる運動

お笑い芸人で顕著なのだが、あるパターンを繰り返す芸風というのは全然つまらない。最近テレビ見ないので最近の芸人は分からないが、古いのだと「ひろし」とかがそれで(とか言いながら結構好き)、出始めは例外としてもそれ以降は常に過去的で、飽きちゃう訳だ。


僕はユングと同じ内向感覚型(ユング自身の判定は多分誤り)だから、本来過去志向で保守的なのだけど、ルーチンワークかクリエイションかという時にはクリエイションを取る。これは先天的な自分の判断というより後天的な知識の判断で、松本人志かひろしかという時に一発屋の方を選ぶ道理が何もない。


でも本質的には、性格的にはルーチンワークの方が好きに決まっている。そこを敢えて「崩さない」のは半分流れている完璧主義の血も影響してるんだろうけど、自分「自身」よりは自分「以外」になりたいという欲求もあるんだろう。


だからツイッターでの僕の発言は総じて「僕らしくない」し、ある意味では自分を生殺しにしている状態なのだけど、じゃあ代わりに何が宿っているのかと言うとそれは多分、「幸福論」だ。


以前僕が軽く言ったように、幸福とはビデオとカメラの間をプラス側に行ったり来たりする行為だと思うのだが、このカメラのプラス側の伸び代が僕の場合桁外れに高い所に刻まれていて、その再現性を検証するのが今の僕のクリエイションだと思うのである。


それはとても幸せなことで、自分自身と自分以外を行ったり来たりするその全貌に「聖なる肯定」が在る。ここに逆説が生じ、自分以外というのは自分自身の否定ではないし、その逆も然り。即ち完璧主義は両者の出逢いの口実に過ぎず、幸福の一つの方法論ということなのだ。