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THINK ABOUT SOMETHING.

万人是芸術家

我ながら「観念に筋を通す」というのはすごくいい言葉だと思った。これができて初めて世界と対等に渡り合えるし、まだ見ぬ明日も晴れ晴れと澄み渡るというものだ。


観念に筋が通ればそれは現実としてまかり通るラインに乗る。言わば「最低限の可能性が保障される」ということで、その筋が通ったかどうかの判断は僕の場合「恍惚」だが、直感と実感が一緒くたになるような感動が明日の筋書きになるという訳だ。


筋書きが確定に近付いていくのは恍惚の度合いで大体分かる。いくら筋が通った(最低限の可能性のラインに乗った)としても、恍惚が浅ければそれは確定からはまだまだ遠いし、心の奥底から確定的だと思えるのは、人生で数回しか訪れないと僕は思う。


これは現実とのベリファイで恍惚の深さとその通用度を一覧化したり、あるいは人生で一度在るかないかの絶対的基準と相対的に見比べたりしながら極めていくもの。もちろん恍惚単体では誤謬も在るけど、厳密には恍惚が醒める頃の直観が最終的根拠になるから、そこは意外と対応できてしまうもの。


そして観念に筋を通す理性の作用を惰性化した状態が、自然発現だ。現実世界のどのクラスで生活しているかにもよるけど、ごくごく平均的なクラスで通用する観念というのは、三十路にもなれば惰性化できる。要するに、三十路になれば大体のニートは卒業できる。理屈の上ではね。


そこから上のクラスになってくると、もっと壮大な話になってくる。僕的用語で言えば個人史がどうたら神話がどうたらということになるんだけど、ものすごく噛み砕いて言えばクラスのハイとトランスのハイは対応しなきゃならない訳だ。


一部例外を除き、基本的にハイトランスは長続きしないものだ。そこで大抵の人は前述の人生で数回は訪れる確定的観念を受動的に待ち続け、そこからその観念をハイクラスにぶつけていく訳だけど、戦略的にこれはミスっている。受動的な態勢ではそれが来る保障など全くないからだ。


では何がハイトランスを導くかというと、アートビルディングを含んだアートビルダーとしてのビルディングだ。仮にアートビルダーとして虚弱体質から出発しても、土着性が戦略的に機能すればハイトランスを惰性化するという理想にはいずれ到達し得るのだ。


僕は早熟では絶対になかったから、思想的に虚弱体質を拾う必然が在った。即ち「万人是芸術家」を証明するのが僕流の一点豪華主義思想であり、あるいは習慣という怪物なのである。