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THINK ABOUT SOMETHING.

グレーゾーン理論

今時YouTubeの違法動画を見ない人など居ないだろうし、Googleでニャンニャン画像を拾わない人も居ないだろう。でもこれは著作権や肖像権を捨てるべきだということではない。


素人の僕が言っても空論になるだけなんだけど、仮に僕が何かの本を出版して、それがある程度ネットに出回ることを100%は咎めない。おそらく気持ち的には一桁パーセントぐらいで、咎めきれなかったものについては大体許容するつもりだ。


要するにこの気持ちが0%になっちゃうと違法DLの全肯定になっちゃうから、それを避ける為「だけ」に数パーセントの否定の気持ちが在るだけなのだ。内心では「どうぞどうぞ」だし、全肯定も全否定も両方現実的じゃないと思う訳。


清濁併せ呑んだ境地というか、肯定と否定のせめぎ合いにこそ健全な流通が発生すると僕は思う。ある程度の違法行為を含めてね。どちらか片方に振り切ってしまうとファシズムにしかならないし、偶に出てくる極端なアップロード職人だけ取り締まればいいと思うのだ。


これは結局「垂れ流しにならない為の犠牲」なんだけど、こういう周期的な摘発が違法行為を浮き沈みさせ、バランスは保たれる。前線という表現はおかしいけど、違法行為のやりたい放題の最前線から少し後ずさるぐらいの状態を、業界全体で暗黙的に推奨する訳だ。


要するに違法行為のオンパレードはさすがに認められないから、偶にYouTubeを見るだとか、偶にニャンニャン画像を拾うだとか、その程度の「ゆる〜いイタズラ」にはペナルティーが発生しないということを、すり込む。暗黙の了解として、流動的なボーダーラインを引く訳だ。


表面的にはかなり高いパーセントの否定の意志、例えば全否定に近いそれが在っても、内面的にはこういう許容ラインが意外と引かれているものなのだ。例え表面的な否定がそのラインをオーバーしていたとしても、それはバランスを取る為だけの「建前」で、内心では「そこまでならOK」という感じで。


僕が勝手に思い込んでるこの建前が実は本音という業界が在ったら、それは時代遅れの発想だ。完璧主義とかじゃなくて、ただの時代錯誤だ。ユーザビリティーばかりを立てるのもアレだけど、企業の論理ばかり立てても今時通用しないし、むしろ現代の主導権はユーザーの側に在ると僕は思う。