コピーの頃合い
どんなコピーにも最適なストリーム(流れ)とスパン(長さ)というものが在ると思う。例えばオアシスのBe Here Nowなんか流れに乗れないから共感もできる訳ないし、ウィトゲンシュタインみたいに結論まで数百ページ積み重ねるのもそれはそれで興醒めだ。
スパンを長く取ると流れは基本的に整っていくけど、あまりにも長引くと「もういいよ」ってことになる。CMのコピーだとLove Distanceぐらいが熟すのに適度な長さだろうし、もう少し長くても大体音楽一曲分ぐらいには収めなきゃならない。
最後にコピーをバーンと出す手法は王道だと思うけど、熟しの頃合いを通り過ぎると腐っちゃうし、早過ぎても意味が分からなくなる。だから僕は偶にナイキのCMクオリティーで二時間の尺の映画が観たいとか思うけど、これは絶対にダレると思う。持って精々三十分ぐらいだろう。
だから音楽一曲分が最大幅で、そこから肝心な部分を抽出しコピーに繋げていくのが基本だ。Love Distanceを見習えば一分強ぐらいが最も熟す頃合いかなと思うけど、但しこれだけではまだ不十分だ。
最初に書いたけどBe Here Now的な「流れの弱さ」も克服しなきゃならない。この点でウィトゲンシュタインは正解だ。流れは長ければ長いほど整うというか、整え「れる」からだ。でも僕がそこで思うのは「そこまでやらなくてもとっくに整ってたかもよ」ということ。
もちろんスパンを大きく取ればそれだけで自然整合されていく訳じゃないし、最終的なコピーに向かって自分自身で要素を整合していく、そこがクリエイターの腕の見せ所だ。でも僕の場合武器は言葉しかないから、Flashに関してはド素人的な作品しか造れない訳だ。
一応ここまでに書いた「熟しの原則」みたいなものを考慮しながら、この連休でもっかい造り直してみたけど、結局言葉祭り的な作品に終わってしまった。最後のコピーの背景動画への繋がりが悪過ぎるという問題も、解消する気が起こらない。
最初は世紀の瞬間の写真で総柄をしようと思ったけど、ある程度は集められたけど数が揃わないという問題が在るし、アスペクト比もバラバラだ。他にもバンクシーの総柄とかも考えたけど、あんまりマッチしないし、もうその時点でめんどくさくなってきて、超シンプルな字幕の連続で済ませてしまった。
結果的にラストのコントラストはできたけど、繋がりを良くしようと思ったらそこに到る流れも何かの動画にするべきだろう。でも僕はあまり映画を観ないから妥当なシーンを集めること自体できないし、「もうこれでいいや」と諦めてしまった。
結局、脈絡の弱い唐突なFlashが後に残ったのだった……。前のやつよりは気に入ってるけど、詰めが甘過ぎるのは仕方ないか。でもこれで執筆を先延ばしする口実もなくなったし、Kindleのケースもさっき来たし、明日からようやく本腰入れて執筆だ。頑張ろう。