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THINK ABOUT SOMETHING.

底上げは全てを白けさせる

どんなジャンルでもレベルの底上げがされると急につまらなくなることの根拠は、方法論が共有されて方法論先行型の作品が量産される流れ=流行にみんなが乗るという点にある。


全てとは言わないがこれがレベルの底上げの一つの構造で、そういう意味で@Shing02氏の今日のツイートは手放しには同意できないかな。もちろん絶対数が増えると結果的にハイレベルな作品が生まれやすくなる、という論理は分かる。分かるけど、勝算ゼロの人間は基本的にそこには行かないよ。


例えば僕が今から将棋の世界を真剣に目指したりすることはあり得ない。勝算が全く見えないからだ。そしてこの勝算の一つの形式が方法論の共有、言わば批判的な意味での「教養」というやつで、つまり絶対数は増えててもその中のオリジナルはあまり増えてなかったりする訳。教養に創造性なんかないもん。


流行に乗っかる連中が増えてるだけで、今のお笑いみたいに、ダウンタウン(トッププレイヤー)とその注釈みたいな構造になるだけなのだ。ダウンタウンと互角以上のプレイヤーがそこから生まれる状況は中々想像できないし、オリジナリティーが育まれる土壌は逆説的に、死んでいってる。


これはお笑いの世界に限られたケースかもしれないけど、勝算の一つの形式である「方法論の共有」は芸術的ゾンビを量産し、その結果「本質的な絶対数」はあんまり増えないどころか、その一握りの本物は芸術的ゾンビの陰に隠れてしまう始末。オリジナリティーはどんどん削られていくばかり。


でもここまで書いて思ったのは、これはテレビ的な話かな、と。お笑いなら真っ先に隠れて詰んでしまうようなGodspeed You Blackemperorとか、活動できてるもんね。


実力が純粋に評価されていく土壌がネットには備わってると思うけど、クリエイターがYouTubeとかに流れてる理由の一つがそれなのかもしれない。だから結論としては、本質的なプレイヤーが隠れる仕組みと、本質的なプレイが生かされるステージとがあって、その相殺でなんも変わってない気がする。