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THINK ABOUT SOMETHING.

作品の前に作家あり

作品を作家の延長線上で見ていない人は居ない。例えば失笑に値するような漫画(具体的に挙げたいんだけどやめとく)があるとしても、それを画太郎が書いてれば最高傑作となり得るように、作品は単体では決して評価されることがない。


これはゲームの世界ではより顕著になる。即ちファミ通で大多数が納得する40点作品が出ることも時々あるが、それ以外の40点はこの原則に則った評価だと思うのだ。例えば龍が如くは国内では割と高い評価が付くけど、海外だとそれほど良い評価ではない。


そこに働いてる心理というのは、ゲームの奥深い所まで辿り着く労力的な部分に対し、それを相殺する以上の面白さ(奥深さ)でこのゲームは応えてくれるのか、という「不安」だ。当然日本国内ユーザーの支持という「保証」はあるんだけど、国が違えば文化も違うからね。


僕はポケモンに対しそこまで肯定的じゃないけど、ポケモンが面白いのは奥深い所を目指す際の、あらゆる障壁が見事に取り除かれてるからだ。プレイ仲間はいくらでも居るし、情報交換も上手く機能するし、その結果対戦相手にも困らない訳だ。


仮にポケモンクラスの作品があるとして、それを世界で二人しかプレイしてなかったら、数としては一応集団なので理論的には面白さを深め合えるんだけど、現実的には奥深い所を目指す気力は殺がれるし、絶対に続かない。同程度のクオリティーなのにすぐ止めることになる。


そういう作品は同格でも格下評価になる訳だけど、その差(障壁の有無)に対する保証がしっかりしてるメーカーと言えば、任天堂だろう。だからファミ通任天堂のゲームが明らかな低評価が付くことはないし、でもそれは面白いからとは限らない訳だ。


だから単体として、例えば新規IPとしてポケモンを評価した場合、40点が付くようなことは絶対にあり得ないというのが自分の意見で、何故ならポケモンの面白さの最大値というのは、そこら中に同じように転がってると思うからだ。そこにアクセスできるかどうかは別問題としてもだ。


時代的な流れも踏まえた上で、面白さの純粋最大値で40点を取った作品と言えば時のオカリナだけど、それに対してポケモンの40点は最大公約数的なもので、純粋評価ではない。結局障壁に対するサポートと言うか、保証の有無みたいなものでレビューの命運を分かつ今の構造は、正直どうなんだろうな。