エンターテイメントの逆転現象
なんかいろいろ一段落したので、FF14を買いに行った。その帰りにふと気付いたんだけど、iOSやAndroidに見られる極めて速いゲームのリリース頻度は、むしろユーザーにとって害にしかならないんじゃないか、と思った。クソゲーが多いからとか、そういうことではなくてだ。
もちろんコンシューマのゲームはフルプライスだけど、仮にタブレットのゲームが全てフルプライス並のクオリティーになっても、コンシューマほどは盛り上がらない筈。ゲームの一側面として『コミュニティーができる』というところに面白みがあるのに、大いに分散してしまうからだ。
これは実はコンシューマの世界でも同じことが起きてると思う。今と昔のリリース頻度の差がどれぐらいかは分からないけど、仮に同程度だとした場合、それでも昔と違うのは『面白さの底上げ』がなされているということで、昔のドラクエのような『一択的状況』にはならない。
そう、どのゲームもある程度は面白く、様々な佳作・名作があって、様々な趣向との合致も生じるのだ。しかし80年代からゲームに触れてる自分としては、あの一択的状況が凄く楽しく、盛り上がった感覚が忘れられない。昔が『定期的なお祭り』だとすれば、今は『毎日のお出かけ』程度に落ちている訳だ。
どれも面白いから、祭りにならないし、ちょっと外出する程度の盛り上がりにしかならない。もちろんモンハンとかもあるけど、それも徐々に分散されてる感があるし、ゲーム業界全体が面白くなればなるほどある意味でつまらなくなる逆転現象がそこにはあると思う。
今は「みんなこれを待ってた!」というのが中々なく、「僕はそれを」「私はあれを」になっている。厳密にはFC時代やSFC時代にもそれはあったけど、その人達も結局一択的状況には集合していたと思うし、そういう大規模なお祭りが最近中々ないな、と思って、なんとなくFF14を買ってみたのだ。
僕のMMO体験はUOまで遡るけど、あれも結局『人が集まってナンボ』というところがあったし、FF14ならそれを満たせるかも、と思って買いに行くも、新規キャラが作れないというオチ。でもこの篩にかける作業で脱落者を設けないと、サーバー増設の実質的な目標値が出せないのかな、とも思う。
ログイン戦争程度で脱落する人は、ゲームに対する情熱もその程度だと判断しないと、今同時接続している22万人に合わせてサーバー増設してしまうと後々とんでもないことになってしまう。半減したら半分のサーバーは無駄になるし、脱落者を織り込んだ上で『見込み』を概算しなきゃならない。
そういう背景があるからこれからもMMO開始時のログイン障害はなくならないと思うし、あれはある意味で『試されてる』のだと思う。ちなみに自分は仕方なく海外サーバーでキャラを作ってみたけど、大友克洋に対する評論にあるような「何かが白いなぁ」と思っているところです。