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THINK ABOUT SOMETHING.

トランス・ヒューマニズム

『強烈なもの』というのは『物事を台無しにするもの』と解釈することができる。意識というのは最も強烈な所に収束する仕組みになっているから、例えば空調で全身を涼しく保っていても、お湯をこぼせば涼しさなんて一瞬で吹き飛び、意識がそこに集中する訳だ。


『常識』とか『平凡』が愛される理由の一つに、平和という枠組みを乱すものを撤廃する狙いがあると思う。みんなで平和を維持している所に、強烈なトリックスターが現れては台無しだから、常識や平凡から外れた異分子は取り敢えず非難しておこう、というような考え方だ。


『強烈なもの』の対義語を『無難なもの』と定義するならば、強烈なものを無難なものが乱すことはできないけど、無難なものは強烈なもので容易く乱されるという意味で、人間のスイートスポット――言い換えれば平和や幸福――はあまりにも脆いものだと言えるだろう。


これは僕が過去に試みた神の無効証明にも繋がる話で、幸福が無難で不幸が強烈である根拠もそこにある。だからと言って僕はここで人間性を去勢しろとは言わないし、むしろマトリックス的な『強烈な幸福』というのもあり得るのではないか、と考えてみたのだ。


最も強烈なものが最も強かったり、最も正しかったりするかは分からないが、人間の精神がそこに最も左右される以上、それを無視する訳にはいかないし、幸福の形態もまた強烈であるべきだ。即ち幸福は現実では脆くても、甲殻機動隊のような電脳世界で機能させた場合、それは強烈に強固かもしれないのだ。


僕は思想や政治が楽園を築くよりも先に、SF的な科学的側面から楽園は生じるだろうという見解を持っているが、それは思想や政治が築く平和の脆弱性を、過去に試みた神の無効証明が示しているからで、その脆弱性を回避するもっとダイナミックなシステムの一例が、例えば電脳世界だと思うのだ。


人間には正負があるけど、その負を一切除き去り、ゼロからプラス方向にのみ伸び代がある世界。それはもしかしたら電脳だけでなく、医療の分野からも到達できるかもしれないが、いずれにせよ負の脆弱性を回避しようと思えば、人体改造的な方向性しか選択肢はないと思う。


ここまでのツイートを一般人が読んだら、ちょっと頭がおかしいと思いかねないけど、負の脆弱性に立ち向かおうと思えばそれに負けないぐらいの強烈さが要るし、僕の想像なんて正直まだまだ甘い。清濁併せ呑んだ世界が実相として、濁りを抑えるよりもそれ以上の清さを求めるのが、本来『筋』なのである。


思想や政治は天然の状態のまま理想世界を導こうとするが、ゼロにできないものをゼロに抑えようとする中で、いろいろと妥協しなきゃいけなくなる。端的に言えば犯罪者や障害者への事実上の差別で、彼等を楽園に引き入れることは先ずない。


だから理想的にはゼロにできない強烈なものよりも、もっと強烈なもので幸福を構築するべきなのだ。それは神の無効証明から考えても、天然の状態のままでは明らかに無理だから、人工的に対抗するしかないし、思想や政治はその『魔』に対抗する術がないことを承知で、回避し切ろうとしているだけなのだ。