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THINK ABOUT SOMETHING.

メンヘラの自然治癒

昔から持ってた持論を一度整理する。メンタルの病の自然治癒について僕が思うことで、以前も軽く触れたかもしれないけど、これは『学んでもいない漢字が読めるようになる』というメカニズムに近いと思うのだ。

 

書けない漢字は山ほどあっても、意外と読むことの方はできたりする。学んでいれば読みも書きも両方できる筈なのに読みだけができるということは、人間は積極的・意識的に学ぼうとしなくても、結果的・無意識的に自然と学んでいるのだ。アナウンサーの発語、新聞のルビ、文脈からの類推などで、だ。

 

この時書きが学べないのは読みと違って一聴して認識できるものではないからで、しかしこれもサヴァン症候群のような人であれば一見して学習することになるだろう。これをメンタルの病に当てはめると、自分の不得意な分野や状況の解決策は、人と触れ合っているだけで自然と身に付いていくのではないか。

 

よく『人の振り見て我が振り直せ』と言うが、その身振り手振りは無意識的に暗記されていく。そして自分が同じ状況になった時その履歴から行動を選択できるようになる訳で、この時に選択してる意識もなければ暗記した覚えもないというような、細かい細かい部分での自己変化が『病の回復』なのだと思う。

 

自己啓発の本とかはこの暗記から選択までを意識的にやらせる訳だけど、それは『身に付いた』ということとはまた別の次元の話だ。選択した意識もないまま選択しているということは、それが自然体ということだし、そういう次元に到るまで人と触れ合うことの方が同じ啓発でも上位に相当する訳だ。

 

もちろん無意識的に読みができる漢字にも限界があって、何度も見かけてるのに一向に読めない漢字というのはやはりあるけど、日常生活を営む上で特に支障は起きない、というぐらいの水準までは、漢字検定なんかを取らなくても自然と辿り着ける筈で、それはうちの小卒の母親が絶好の例。

 

逆に母親は英字をほとんど読めないけど、それは読むことに必然性があまりないからだ。上述した『一向に読めない漢字』というのもおそらくそれで、本当に必然性に迫られている場合、日常生活を営む為にそれを学習しようという無意識のメカニズムが働き、それもカバーする筈なのだ。

 

つまり僕達が読める漢字は日常生活で使うものばかりなのだ。そしてそれは学習していようがしていまいが体に染み付いていて、思い出さなくても振り絞らなくても自然と暗唱できるものなのだ。要するに『自然体』であり、これが日常生活を営む理想であるならば、本質的には学習など要らないのだ。

 

この『日常生活ができるぐらいの漢字の読みの習得に学びは要らない』という仕組みは、メンタルの病にも当てはめられると思うし、意識的に何かを変えようとしなくても、人と触れ合う現場に立ち続けていれば自然と日常生活の水準まで辿り着いているんじゃないかな、と僕は思う。

 

全てのことはこなせないけど、生活だけならきっとできるのだ。だから必然的な現場に立ち続けることが重要だし、但しそれもしんどければやらなくていいと思う。人間は基本的に時間経過で上向いていくと僕は思ってるから、働く時間も休む時間も自然治癒に変わりはない。

 

ここをショートカットしようとする親御さんが多い気がするけど、モラトリアムに付き合うということが家族の最大の支えだし、時間を焦って浪費させないことだ。向精神薬は数あれど、時間以上に回復する薬はないし、『時こそ薬なり』なのだ。それを無理矢理口に含めさせようとしたら、そりゃグレるわ。