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『継続は力なり』の理論的証明

『継続は力なり』を理論的に証明しようと思う。先ず東にプランク長進んだ時の東方向への移動量は、元の地点よりプランク長。この移動線を北東ないしは南東にずらしていくと、東方向への移動量は徐々に狭くなり、北ないしは南のゼロをピークに無限に細分化することができる。これが世界の無限性原理。

 

全ての力は無限性原理により、独自の系を成し、一致することはあり得ない。近似はあり得るが、その僅かな隔たりがバタフライエフェクトの如く無限大の差異を指数関数的に形成していく。ローレンツ方程式の軌跡は継続することで差異を増幅するが、その爆発が力ならば、継続は力なりは理論的に正しい。

 

付け加えれば例えトップクラスでも同一性は力ではなく、同一化しないことが力なのだ。それは無限性原理によって保証され、バタフライエフェクトによって壮大に増幅される。即ち『隔たり』であり、究極的には――無限大に増幅された最果てでは――『絶対性』であり、これこそを僕は『力』と定義する。

 

結局のところどう足掻いても『継続は力なり』なのだ。この絶対性に向かわざるを得ない人間の原理を『絶対性原理』と呼ぶとして、しかしこの原理はそれ自体ではまだまだ不完全である。何故なら熱量とカオスの比例関係と、爆発したものの倫理を全く想定していないからで、爆発が大罪では意味がない訳だ。

 

独自の思想で独自の系を成し、一つの力を継続すること。途轍もない何ものかへの帰結。代替えの利かない圧倒的到達。そう、芸術は必ず爆発する。但し蝶だけの世界では竜巻が限界としても、人間社会では原爆も生み出す訳で、系の熱量はカオスと比例関係にあることを先ず以って知るべき。

 

但しアートの場合、この辺の問題はある程度回避できる。三島は「どんな非道徳な芸術だって認める」と言ったが、現実で実現できないことはアートで昇華すればいいし、従って熱量は可能な限り大きく、言い換えれば続けられる程度に最大に取り、爆発はアートに変換すればいいのである。

 

継続は力なりの言い換え――絶対性原理――は、ストレンジアトラクターの性質――差異の指数関数的増幅――を利用したものだから、全く以って予測ができないし、だからこそその帰結は芸術的に価値がある訳だ。随分昔にも僕は言ったが、頭の中で事前に完成されたアートは総じてつまらないのである。

 

今日のつぶやきはあんまり独創的な結論にならなかったが、万人万有のストレンジアトラクターを理想的に運用する方法論が添えられていれば、もう少し面白い話になったに違いない。ちなみに『熱量』と『情熱』は全くの別物で、精神的な運動量のことを指すから、むしろ負荷の高さを示すものだと思う。

 

もしかしたらその辺にヒントがあるかもしれない。と思って昔のつぶやきを探してみたら、過去にこういう式を僕は作っていた。『自動的代謝-生理的代謝=当人の個人的代謝-万人の個人的代謝=当人のエロス』というもので、このエロスの部分に最大の熱量をかければいいのかもしれないな。

 

ところでこの『当人の個人的代謝』の部分、即ち生理的代謝以外の自動的代謝の部分(差分)は、予め備わっているものではなく、自己開拓していくものだという直観がある。この差分がめちゃくちゃ狭い人を僕は知っているし、しかしそれが才能の枯渇だとは思わないし、開拓不足という印象なのだ。