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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

ドラゴンズドグマに求めるもの

今更だがダークソウルよりもドラゴンズドグマに期待してる自分は少数派なのだろうか。


時のオカリナオープンワールドかどうかはともかくとして、コキリの森を抜けた瞬間広大な世界を我が物にしたような世界征服感を初体験した以降、それが忘れられない原体験となって自分の中で強烈に宿ってきたのが多分、大きく原因している。


当時はUOもプレイしていてその仲間と「UO時のオカリナみたいになれば神ゲーだよね」などと話していたが(少なくともUORまではUOも面白かったけど)、それのオフライン版がいわゆる今で言う所のオープンワールドであり、広く知れ渡らせたのがオブリビオンな訳だ。


でもオブリビオンは正直アクション面の出来があまりにも貧弱だったから、UO時代に夢想していた「原体験(時のオカリナ)の理想形」には程遠く、その空振りした期待感が「今度こそは」とドラゴンズドグマに結び付いた訳だ。


ゲームとは少し縁遠い話かもしれないが、ゲーテは神曲の地獄篇は夢中になって読んだが、天国篇はあくびが出るほど退屈だったと述べている。これは当たり前のことで、光を描く要素と闇を描く要素だと後者の方が桁外れに多いからである。


結果前者(地獄篇)を全力で書いてしまうと後者(天国篇)でボキャブラリーが足りなくなり、同等のクオリティーを守ろうとした時に必然的に「嘘」が必要になってくる訳だ。シンプルに言えば世界は光よりも闇の方が遥かに奥深く、遥かに面白いのである。


だからダークソウルの方が本質的には面白くなる可能性を秘めているのだけど、自分の場合オープンワールドの感動=原体験(時のオカリナ)と結び付けてしまうから、どうしてもドラゴンズドグマの方に期待してしまうのだ。


でもダークソウルの方が面白くなる可能性を秘めている、というのは「世界観」に限った話で、小説と違ってゲームには「自由度」というものがあるから、光も闇も両方抱えた方が結局面白くなる訳(ゲーム性が同一の場合)。


その振り幅はダークソウルには期待できないけど、ドラゴンズドグマには可能性が見えるのだ。


もう一つの側面から冒頭の嗜好の理由を考察すると、ダークソウルの本質というのはクラブミュージックで言う所のストレスとトランスであって、これは本来オープンワールドに結び付け難いんじゃないだろうか。


なにもかも垂れ流しにするのも問題だけど、なにもかも高嶺の花にするのもオープンワールドとして無理がある。なにもかもにフリーアクセスできるのを前提に置いといて、なにもかもが異なるリアクションを返す仕組みの方がオープンワールドとしては面白い。


話は飛ぶが現実世界の人と人の関係なんて幻想だけど、それを誰も破れないからこそぶち壊す所に自由を感じる訳だろう。でも「ぶち壊した以降の世界」が標準化されるとこれは逆にオープンワールドじゃない。


オープンというのはクローズされたものに対して対応的に発生するものであって、最初からなにもかもオープンされていると行為の深み(インパクト)がまるでなくなる。例えば北斗の拳の世界観でオープンワールドを造っても犯罪行為が全く輝かない。誰でもやっているからだ。


そういう意味でデモンズソウル由来の「結果を得るのに必要以上のテクニックを要求する」という設計はオープンなオープンワールド(ダークソウルのことではない)への一つの古典的解になり得るが、行為そのものは最初からフルアクセスできて高みには熟練度が要求されるという設計の方が断然いい。


行為そのものから制約し始めると決定論的なお話になっちゃうから、オープンワールドの醍醐味の一つである世界征服感が半減してしまう。従って「因は自由で果は不可抗力」という設計が一番よく、それと相性がいいのはクローズなオープンワールドだろう。


それは要するに前述した「幻想の行き渡った世界観」のことであり、言い方を換えれば「秩序が機能した仮想世界」であり、他者は総じて幻想に侵されている中自分だけが全てにフルアクセスできる所に生き生きとした「人間らしさのコントラスト」が生じるのである。


だから……僕はドラゴンズドグマ殺し屋イチのようなロマンを要求します(どんなオチやねん)。


総論。自由がトランスだとして、その恍惚を煽る為にゲームデザインでストレスをかけるか世界設計でストレスをかけるかでオープンワールドは二極化する。


前者は「垂れ流しの自由を堰き止める為のストッパー」で終わりかねないが、後者は「自由(ロールプレイ)」と「異端視(我の認識)」が根本的に結び付いているから、ゲーム内の隅々まで「世界征服感」が行き渡り、この最大のオープンに対応するクローズは「世界そのもの」なのである。


要するに、オープンワールドと自由の遍在性は不可分なものだということなんだろう。