BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

2013-08-01から1ヶ月間の記事一覧

理想はデジャヴレス

考察する価値があるかはともかく、僕がコピーを書く時と、普通の文章を書く時の頭の使い方には違いがあるみたいだ。結論から言えばコピーを考える時、僕は『発散しない程度に想像の端っこを取りに行く』ということをやっていて、そうすることで独創的にもな…

PUNK IS BEAUITIFUL!

できないことをできるように願うのが『パンク』なら、轟き渡るシャウトだけがパンクではないし、静かなるシャウトもそれはそれでパンクだ。そう考えると世の中には結構な確率でパンクが見え隠れする気がしてきたのだ。 何故こういうことを考えたのかと言うと…

アートは奇数的であるべきだ

ほぼ日手帳コピー大賞に応募するコピーを考えているが、コピーにしろアートにしろ『偶数的なものは弱い』というのを前々から思ってて、今回その思いがより確定的になった。 例えば一個没にしたコピーを挙げるけど、『せいかつの一部に、せいかつの○○を。』と…

自由とはアブノーマルな帰結である

例えばiTunesで同じプレイリストがあるとする。それを聴いて一度目の人生では最終的にaがベストソングになるとする。その後もう一度人生をやり直せるとして、二度目の人生では最終的にbがベストソングになるとする。この場合の必然性とは何なのか。 寺山と三…

現象と認識と、その認識と対応と

少なくとも生得的現象について自分以上に理解できる人間は居ない。これは間違いない。それは大別して『タイプ』『ストレングス』『レンジ』『グラデーション』の四つで構成されているが、それを厳密に言語化しても言葉は現象そのものの等価ではないから、自…

ソリッドに、シンプルに

僕は昔宣伝会議賞に何通か応募したことがある。一課題に集中して応募したのではなく、一課題につき一応募を複数課題、というやり方だった。 結果から言えば落ちたんだけど、何故そういうやり方をしたかと言えば、『本格的な人間は百単位、千単位で応募する』…

アート・ビル・ソリッド

虚無はあの手この手で同一化を阻み、不一致を好むが、それが神の仕掛けた最高の戦場であり、然る修羅巷の不可抗力の究極に、究極だからこそそこだけに唯一者の王座が存在するのである。しかし昨日も述べたように不滅の王座などあり得ないから、逆に言えば確…

グリフィス的転回

昔たまたま見かけたツイートに、『完璧な演奏よりミスをした演奏の方が評論家に受けがいい』みたいな内容のものがあった。厳密な意味でのノーミスというのはあり得ないけど、そこに肉薄するオリンピック的要素から外れたものが評価される図式だ。 記録的競技…

唯一者と絶対者の狭間で

そんな言葉があるかは分からないが、僕は無限論者として『絶対なるものを信じない』というスタンスを取る。例えばあるものとあるものの中心、あるものとあるものの同期といった、相対性がなくなる現象を僕は信じない。 前者は例えコンピュータ・グラフィック…

必然への集合

二人が相当し、その内二人に通底する美学・原理・了解が2/2で、一人が相当し、その内一人に通底する美学・原理・了解が1/1で、2/2(二人に通底するもの)と1/2(二人に通底しないもの)の差分が1/1への伸び代(拡張終末の根拠)になる。 即ち1/1という唯一者…

impossible is nothing

僕的用語における虚無というのは『自由意志(無限)の根拠』ないしは『必然性の究極の隣人』なので、『可能の限り』というのはほぼ『虚無の限り』という意味になる。また前者の虚無はアプリオリに存在すると思っているが、後者の虚無は最高峰の拡張終末でし…

独創性の聖なる肯定

神谷英樹のツイートをお気に入りに入れたけど、その内容で思うところがあったので書く。要するに、黎明期における独創性の可能性みたいな話だ。 これについては僕も再三言ってきたと思うけど、独創性というのは基本的に『堕りていく』という行為なんだよな。…

放たれるべくものとして我はある

僕は万回創世をやり直しても万回造られたであろうものを『原理的なもの』と呼んでいるが、これは人物に対しても適用することができ、万回生まれ戻っても万回造られたであろうものも同じく原理的なものなのだ。僕は長年これを神聖視してきたけど、どうやらそ…

彼こそがギャングスタ

理論上万人に可能な最高位――過去の例で言えばその最たる象徴が三島であり、では例えばランボーはどうなのかと言うと、それは三島が殺したケースバイケースから生まれた異端ではなく、三島とは別のベクトルの普遍的終末及びその拡張終末の帰結として、彼があ…

『我らかくあるべし』から『我かくあるべし』へ

普遍的終末の母子数=数値の部分は後付けである。例えば芸術家にしろ音楽家にしろ、その普遍的終末というのは類型論を最後の砦とした征服の最深部のことであり、その征服行為が普遍的に可能である場合、それが小刻みに数値を変動させ、類型論的征服=拡張終…

深淵のその先へ

深淵のその先へ進軍する為に類型論を使うのは妥当だけど、この飛び道具は終末の確定作用ももたらすので、浅はかな段階で使うのはもの凄く勿体無い。要するに、100/100の深淵で使うよりも10/10の深淵で使うべしということなのだ。 ユングの類型論は8タイプあ…

マイノリティーの究極へ

1/1の深淵も100/100の深淵も同じ普遍的終末ではあるが、前者は分析心理学を応用した拡張的な普遍的終末であるがゆえ、深みという点で後者には勝ち目はないが、同じように他者に適用できるかと言えば疑問が残る。自己啓発の類のことだ。 例えばドストエフスキ…

普遍的終末の更新

普遍的終末という言葉について少し補足を。これは『アトランダムな解釈が始まるボーダーライン』のことであり、それ以降は『普遍性の及ばない固有の領域』になる。このボーダーラインまでは普遍的に事実が確定されていて、その公理的なものを積み重ねる行為…

学術的オリンピックの夢の跡

何かを食べた時に口に食べかすが付いて、それを周りの人間が指摘する。言われた通りにおしぼりでそこを拭いても、相手の映像と自分の想像にギャップがあるから、中々拭けない状態が続く。今日はそういうことを考えてみた。 この時一番手っ取り早いのは、鏡を…