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THINK ABOUT SOMETHING.

2011-10-01から1ヶ月間の記事一覧

ロジカルな言葉とイロジカルな言葉

言葉は大雑把に二分すると、ロジカルなものとイロジカルなものに分かれる。僕は性格の地の部分でイロジカルな言葉に偏ってるが、最終的に強いのはロジカルな言葉の方である。 少し強引だが、イロジカル=詩人的、ロジカル=文学者的と仮定して、詩人が一切余…

行為が先か自信が先か

僕は行為が先か自信が先か、ということについては結構考えてきた。もし自信が先なら自信がなければ行為もなくていい、という決壊が起こる。ゆえにその一点においては行為が先んじるべきではないのか、といつも思う。 例えばキリスト不能論というのが在るらし…

万人是芸術家

我ながら「観念に筋を通す」というのはすごくいい言葉だと思った。これができて初めて世界と対等に渡り合えるし、まだ見ぬ明日も晴れ晴れと澄み渡るというものだ。 観念に筋が通ればそれは現実としてまかり通るラインに乗る。言わば「最低限の可能性が保障さ…

観念に筋を通すべし

青年時代の夢の大きさと性的妄想の非現実度は一致していて、これは現実のセックスを繰り返しベリファイすることで生々しく変化していく。そしてそれは夢を妥協する行為という訳ではなく、逆説的に最大化する行為である。 前にも書いたが、僕はセックスシンボ…

四段階青春説

人は主観が全体化したような世界観(我は神なり)から出発し、客観を共同化したような世界観(神は死せり)に落ちぶれていく。言わば神話から歴史への転落であり、成人するということである。 産まれた瞬間は創世期の神の如く、誰からも愛される「小さな神」…

偉大な芸術家は火を奪う

以前にも書いたが、眠たい時に思考すると睡魔と闘っている感覚が味わえる。でも恣意に近いような浅い思考だとそうはならなくて、どこまでも潜っていくような深い思考をすると睡魔との闘争が際立ってくる(これは後に書く「坂の比喩」でもある)。 そしてその…

言葉への責任

僕は言葉を正々堂々と使える人間に憧れる。例えば三島由紀夫とか、ハイデッガーとかだ。 僕は絵画的な画力は全然ないけど、言葉による世界描写なら多少できる。でもそれは所詮「多少」に留まっているから、描写に自信のない場面に出くわすと詩に逃げたり、曖…

ハイアマチュアであれ

詳しい意味は分かってないけど、僕はNIKEの「JUST DO IT」という言葉が好きだ。キャッチコピーの世界では多分、短さは一つの正義なんだろうけど、それでいてNIKEらしさの筋が通ってるというか、要は「完成されてる」と思うのだ。 でも偶に思うのは、ほとんど…

ライブの嘘は光か

友達にYouTubeで「We Are The World」的な動画を見せられた。そして一瞬で、見る気が失せた(見たけどさ)。 確かチベタンフリーダムコンサートだったと思うが、当時僕が好きだったトム・ヨークとベック・ハンセンで意見が分かれた。少し記憶が曖昧だが「音…

パーソナリティーの信仰

「筋を通す」ということと「真を取る」ということが同義だとして、個人史以上に生々しく化け得る対象は他にないから、そう考えるとパーソナリティーというのは芸術の拠点と言えるのではないか。 例え一瞬であれ「雨にも勝り風にも勝り」に到達する為には、以…

黄金は我が内に

昨日のツイートだが、要は「過去から未来まで筋を通す」ということ。そしてこの一筋の昇り矢を、螺旋の芯とすることが可能かもしれないとふと気付いた。 神や楽園も悪くはないが、抽象的過ぎて掴めないまま終わることも大いに在り得るから、神学よりももっと…

『ゆく』という思想

僕は「過去を清めればその今昔が未来を明け渡す」と考えているが、これってよくよく考えれば予言的な話かもしれない。 僕はなんちゃって決定論者だけど、時間軸における一つの断面から過去と未来を導くことは理論的に可能だと思っていた(アホだから)。 そ…

螺旋の芯

昨日のつぶやきだが、僕がずっと考えてきたことに繋がった気がする。つまり聖者が我が道を手放しに昇り続ければ、誰一人として例外なしに堕天する。仮にしなければ欺瞞の証明だし、単純な自我肥大は自殺行為に他ならない訳だ。 手放しではないとしても、昇り…

楽園の為の非我

大人は形を守り抜く。若者は革命に妥協しない。故に若者は華々しく映るけど、対する大人は燻し銀だ。若者は射精後の後悔感を内に孕んでいるが、大人はとっくにそれを通り過ぎて生きているからだ。 それでも若者の反抗は世界の為に必要だ。何故ならダダイズム…

雨にも風にも勝るべし

雨にも負けず風にも負けず。あれは「負けない思想」というより「勝てない思想」の方が正しい。「勝つ思想」というのは対等を前提に組まれてなどいないからだ。 「雨にも負けず風にも負けず」というのはその対象に対する攻撃性が全くないし、精神的な「対等」…