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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

エッチと愛の比重

なんかすごくイヤなことを思いついたけど、仮に全ての飲食店が500円のワンコインで食べ放題になったら、家庭料理の出番がなくなりかねない。ほとんどの場合プロの料理人の飯の方がおいしいからだ。


仮定自体に無理が在るんだけど、これをエッチに結び付けるとどうなるか。風俗が全て500円になったとしたら、あらゆる恋愛行為が破綻してしまわないだろうか。僕はエッチはそんなに重要じゃないと思ってるけど、一般的にはそうじゃないからね。


島田紳助が「好き−エッチ=愛」と言ってるけど、風俗が全部500円になった時にこれの真価が問われる気がする。というかほとんどの場合破綻すると思うし、この数式は大概何も残らないぐらいの低い数字になると思う。


エッチに対する意識が愛よりも軽ければこの数式は成立するけど、現実的にはエッチは愛よりも重いことの方が多い。500円風俗時代を想像すればするほどこれは間違いない気がするし、ほとんどの人間が愛よりもエッチに流れる訳だ。


だから紳助の数式にはもう一つミソが在って、好きの内訳が「エッチ>愛」の場合風俗に負ける可能性を孕んでいるし、浮気もするし、「エッチ<愛」の場合完璧じゃないけど浮気なき純愛になるんじゃないだろうか。要するに500円風俗に流れない恋愛が本物なんじゃないかと。


当たり前だけど、この純愛の式は一目惚れでいきなり成立することはない。最初は誰でもエッチの意識が先立つからね。でもその先が在って、長年の付き合いで酸いも甘いも認められるような関係になるのが、理想の相手だ。家族ってどうしようもないろくでなしでもそれが子供なら愛せるだろう。あの境地だ。


傍から見たらろくでなしでしかない相手と付き合うのには、実は逆に見る目(色盲の克服)が要る。親バカじゃないけど、連れバカにならなきゃ恋とは言えないし、二人の間だけで通じ合うカラーが要る。そうじゃなきゃ只単にエッチしたいだけだ。色よりも体を見てるんだから、風俗に最後は負けちゃう。


まあ入り口が「エッチ>愛」で、最終的に「エッチ<愛」に辿り着ければそれでいいんだけど、そこに到る前に結婚しちゃう人の神経はよく分からない。既成事実にしたいだけなのかと思う。こういう人は多分、風俗が500円になってたら結婚してなかっただろうね。


ちなみにエッチを淡泊にして結果的に愛を立てるんじゃなくて、両方とも立て続けて好き自体を膨らませるのが純愛の理想的な形だ。前者のやり方だと好き(エッチ+愛)がしぼんでしまってるし、本末転倒だ。


エッチが淡泊な人は愛まで行きやすくなるかもだけど、その愛は結局全体として見た時に弱く、軽いものだ。逆にエッチが濃厚(妥当な言葉が思い浮かばない……)な人はエッチだけで完結してしまいかねないけど、愛まで行けたらそれはもう本物の関係になれると思う。


そういう意味ではエッチを軽視したり逆に野蛮視するのは、捉え方として薄っぺらい気がする。僕はエッチをそれほど重視しないと言っても、いろんなものの優先順位が段々変わってきたというだけの話で、エッチ自体の重さは多分、昔からずっと変わってない。他にもっと素敵なものが見え始めただけで。


大分昔にツイートしたけど、どんな人でも無差別に好きになれるというのは、誰だって無理だ。そこは嘘をつけない。でも、自分の中のボーダーラインを超えてる人であれば、そこから一番性格のいい子を選ぶ、というのが僕の学生時代の考え。なにも大したことはないけど、年齢相応の発想だと思う。


今でもこの考えはある程度踏襲してるけど、それも少しずつ変化してきた。「そもそも性格ってなんだろ」という所から始まって、性格を良いか悪いかという単純な二択では捉え切れなくなり、もっと突っ込んだ性格の全体像のカラーみたいなものに、惹かれるようになってきた。


昔は良いか悪いかという「白か黒か」で見てたけど、これは典型的な見る目のない人間の異性の見方だ。もっと色は無数に在って、しかもその色が輝いているかどうかはまた別問題だ。黒だって輝けば味になるし、例えば叶恭子とかがいい例だろう。


だから少し前に職場にものすごく可愛い子が入ってきたけど、今の自分には「容姿だけで成り立ってる」ようにしか見えなくて、ボーダーラインを超えてるのに端から対象外になってたりする。こんなこと言える立場じゃないんだけど、ツイッターだしね。


月並みな考えだけど、平均的な和食を外人がわざわざ食べたいとは思わない。でも飛び抜けた一流の和食なら、日本人だけでなく外人をも飛びつかせる。そういうフェチ(各個人の固有性)をグローバライズできれば、ほとんどの場合好きのボーダーラインは超えてくるし、それが「個性」というもんだ。


そのカラーに対して色盲になっている状態を「見る目なし」と言うのだと思うし、逆にそのカラーにアクセスできる、要するにその人間の人となりを読み取れる審美眼が伴ったら、それは「見る目在り」と言っていいと思う。そこから後は相性の問題だけど、あくまで入り口はカラーの輝度で決まると思う。