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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

思想に完成はない

思想書というと大袈裟だが、思想的な体系を造り上げるのが僕の今の目標で、でもこれは後半になればなるほどこじ付けの要素が強くなるということに気付いた。


これは只の怠惰なのかもしれないけど、思想的な本を書いている時、道中の全体性をある程度守りたくなる心理が働き、古いページを修正するとしても部分的に留まる。「折角これだけのものを書いたのだから」とか、「今更これ全部差し替えるのはイヤだ」とか、動機は色々。


でもそのまま行くとどうなるか。簡単なことで、あちらこちらで「綻び」が現れ全体性が蝕まれてくる。すると作家はどう動くか。これも簡単で、それまでに存在しなかった定義を援用するか、それまでに在った定義を細分するか、どちらかになる。


これはどちらを取ってもシンプリズムが死に、段々と段々とこじ付けが酷くなってきて、最後は全体性が崩壊する。でも僕はこの崩壊の方はあまり恐れておらず、何故なら本全体が完璧じゃなくても、完璧の近似でさえあれば伝えたいものの根っこは同じく伝わると思うからだ。


では何を恐れているかというと、シンプリズムの死の方だ。僕は旧弊なシンプルイズベスト派だが、綻びを推敲的に書き換えて全体をシンプルで貫けば、それが傑作となり、古典となる訳で、僕自身その流れに乗りたいと思っている訳だ。


ダンテは「愛」を書いたし、三浦建太郎は「魔」を書いたし、その次に僕が書くものは見えているけど、シンプリズムが死んだら元も子もない。だからと言って合理主義で欺瞞するのもバカバカしいし、最早全体性への我執をなくすべきなのか、否なのか。


結局「完成する思想は全て偽物だ」という昔からの信仰は、やはり変わらない。だから中途半端で終わるのも一つの誠実な選択肢ではあるかもしれないな。