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ゲームクリエイターに晩成型は存在するのか

僕は結構バカ正直に「継続は力なり」という言葉を信じているけど、その継続する装置にアクセスすること自体が難しいジャンルがある。文学に対する漫画、絵画に対する映画という具合にだ。


桜井氏は「ゲームクリエイターは才能である」というような旨の発言をしていたと思うが、僕はそうは思わない。これはゲーム制作の継続の権利が極めて閉鎖的で極めてレアということの言い換えに過ぎないと思う。


例えば稲中を例に取ってみると、作者の古谷氏はヤングマガジンという継続装置上で連載を開始し、一巻の終わり頃に一度連載打ち切りになりかけたが、二巻から盛り返したという実例がある訳だ。


そこからは稲中もギャクマンガの名作足り得たし、今や継続のおかげで画力的にも物語的にも中堅と言える所まで来た訳だが、これは吉本隆明氏の「何でも十年続ければモノになる」の一つのサンプルと言える。


でも仮に一巻の終わり頃に連載を打ち切られていたら継続する為の装置を失って、今の才能への道は途絶えていた訳だ。ゲーム業界はおそらくそのほとんどがこのパターンで、商業性の高さ故に早熟型のクリエイターしか端から抜擢されないのである。


それが「ゲームクリエイターは才能である」という発言に繋がったのだと思うが、これは「クリエイターを成熟させる土壌」があまり整っていないことの裏返しにもなる。勿論大きな金が動く業界だし、当たり前のことなのだが、晩成型のクリエイターを総じて打ち切るような風潮には何か違和感を感じる。