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THINK ABOUT SOMETHING.

おおかみ子供の雨と雪

おおかみ子供の雨と雪を観た。観るべき所は他にもいろいろあるんだろうけど、個人的には母親のキリのないエネルギーみたいな所をずっと観ていた。


父親が死んでしまって、そこから先の生活は過労を極めるようなレベルだったと思うけど、それを一度も投げ出さず、最後までやり切ったのは見事だと思った。


こういうエネルギーは並大抵のことでは出てこないし、あるいは出てきてもすぐに力尽きてしまうのがオチ。それを最後まで続けさせたのは家族愛もあるんだろうけど、それだけでは成立しないとも思う。


モチベーションになる要素が何個何十個並んでいた所で、無視する人はそれを無視するし、逆に何の動機もない赤の他人が同じことをやる場合もある。だからこれは最終的に人格の問題だと思うし、月並みな言い方をすればあの母親は「善人」だと思う。


「善人とは何か」なんて僕には分からないけど、否定の理由を立てずに可能な限りのことを肯定する、受け容れるというのが一番近い気がする。ある意味宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に似ていて、あれは超えよう=否定しようとする意志がない詩だ。


もちろん限界はあるけど、ただあるがままを受け容れて、他者を自分の一部のように大切に扱う。「受け容れる」には「力になる」という意味も含まれるから、大袈裟かもしれないけどこれって一種の理想主義がないと成立しないと思う。


力になるということは力を出すということだから、精神の寝たきりにはそれはできない。常に精神に芯があって、凛としていて、動機なき動機(理想)を持ち、決してめげず、いつもしずかにわらっているような人でないと、それはできない。


動機=動力がないのに力が湧くのは、本人は意識していなくても理想を夢見ているから。自分に直接返ってくるものはなくても、「こうすれば世界はよくなる筈」という行為に自分を参加させる。無償でも犠牲でも構わないし、それは今よりも未来を見据えた「みんなの行為」に他ならない。


そう考えるとそれが子供への愛なのかもしれない。子供って可能性の塊だから、未来の象徴みたいなもんだし、それを腐したりせずあるがままの目で見て、最大限尽くしてやる。そういう澄んだ目を持つ人は本当に輝いてると思うし、例えドジでもカッコいいと思う。


他にも見所はあるけど、個人的にはこういうことを考えながらずっと母親の動向を観ていた。あれだけのことができる精神の力持ちは中々居ないし、クールとはまた違う独特のカッコ良さがあった。なんか観ていて清々しいというか、心が洗われるような気持ちになれたよ。