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THINK ABOUT SOMETHING.

私のコピーライティング Pt.2

読み通りであるということは言葉の動線が自然であるということ、読み外れであるということは言葉の動線が自然から外れてるということ。例えば『思った通りには』と来れば、その後の言葉の動線は大抵『いかない』に行き着き、それ以外の言葉に行き着くのが動線を『外す』ということ。

 

読み通りの品詞グループをA、印象的な品詞グループをBとすれば、AかBで外すか、AかBを外すかのどちらかがコピーにおけるオチ付けということになる。自分は『外しは一個までルール』が基本だと思っているが、外れたものを外した時点で二つになるので、必然的にオチ付けの構造はこれになる。

 

前者の外しは必ずしもAかBが述語であることを意味せず、副詞でもいいわけで、また後者の外しも必ずしもAかBが主語であることを意味せず、形容詞にしてもいいわけだ。『不思議、大好き。』は『不思議』が印象的な文字列=Bで、そのあとに『読点+大好き。』と来るのが読みを外しまくっている。

 

そしてオチ付けのもう一つの方法として『韻を踏む』があり、それも踏襲している二重の完成度とこのインパクト。また眞木準のような造語を入れてくるやり方は基本、外しに分類されるので、『外しは一個までルール』を踏襲すれば必然的に自然な言葉の動線とくっ付くことになる。

 

『夢国籍でいこう。』なんかが典型例。ちなみに『ボーヤハント。』が彼のコピーでは一番好き。これは印象的な品詞グループのBに分類されるが、それ自体でそれ以上の言葉は要らないということはこれはもう外しだ。コピーにおける言葉の動線は自然に行くか、外すことで鮮明になるかの二択しかないのだ。

 

そして外すということが鮮明になるということならば、外しが二回あると鮮明なところが二ヵ所あることになり、注目度が分散される。これが相乗されるとすればポエジーしかなく、もしコピーがポエムではないならば、結局は一回ルールに帰ってくることになる。

 

言葉の動線が自然通りであるものが注目に値するには、外しが不可欠になる。そして外すことで鮮明にするためには、外す対象が不可欠になる。これらは不可分なセットであり、その成果物の優れた共通点は『全言葉が堂々としていること』なのだ。『捻り』と『優れた外し』はそこが決定的に違うのである。

 

つまり捻るということは堂々とできない後ろめたさや嘘があるわけで、優れた外しはそれを越えて外しながらも動線は何かストレートなのだ。『すべてのコピーはストレートであれ』というのがコピーライティングの理想。外しがスイングとすれば、その打球=言葉はホームラン級にストレートに伸びるべきだ。