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BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

必要悪としてのノイズ

The Last Of Usのプレイ動画を観たけど、その辺の「本命を上から並べるだけ」の作品とは違う、心地良い不完全性を感じた。単体で切り取った時にはノイズにしかならないものを、作品性に昇華させてると言えばいいのかな。


本命を順に並べるということは、意識的であれ無意識的であれ、受け手に「先読みされる」ということだ。「同系作品との既視感」と「先読みの追体験」とで、二重の予定調和になるし、その時点で一瞬一瞬の斬新さは生じず、また意識的に読まれた場合はクリエイティビティーで負けたということでもある。


例えばカメラのブレがない、移動角度や被写界深度がほぼ固定という作品から、カメラワークの斬新さを感じることは先ずあり得ないし、断続的に特異点を設けないと、一貫して先読みされ続ける=飽きられていく。ノイズの効用というのは予定調和を崩すことだから、単体では悪でも、全体では必要悪になる。


GoWは一見クリーンアート的だけど、ノイズはきっちり入ってる。広い意味でのオブジェの使い方が上手いというか、無視される要素がなく、全部が機能しているし、GoWからそういうノイズを取っちゃうと、ダンテズインフェルノみたいになる。上辺だけのコピーの悲劇だ。


要するにメインを立たせるサブみたいなものが、おそらくノイズの真価で、メインの要素だけで全体を構成すると、コントラストもなく意外性もなくのっぺりとする。ドラゴンズドグマのムービーとGoWのムービーを比較するとこれはすごく良く分かるし、つまり前者には「要素の名脇役」が全然ないのだ。


メイン同士のすることなんて大体決まってるし、そういうのは大概既存の何かと被ってデジャヴするだけ。それを崩す為にもノイズは絶対必要なのに、ドラゴンズドグマの場合プレイアブルシーンですらそれがない。全部が舗装され過ぎちゃってて、「やらされてる感」が半端ない。


全ての調子が良く、そして単調なのだ。「王道」と言えば聞こえはいいけど、メイン同士の分かりきった予定調和に飲み込まれるだけ。逆に要素の名脇役にこだわり過ぎても「独創性の為の独創性」になってしまうけど、ドラゴンズドグマはその逆の方向に振り切れてしまっている。


それを王道と呼ぶのは間違ってないが、そのベクトルでいくら創作しても傑作にはなり得ないと思う。ドラゴンズドグマの場合脇が固まってるからまだいいけど、このベクトル(メインメインメイン!)には駄作がわんさかあるし、受け手を圧倒する為にノイズを導入するというのは、すごく自然な道理なのだ。