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THINK ABOUT SOMETHING.

松本人志と宮本茂の対談

今更ながら松本人志宮本茂の対談を見た。発言の一つ一つに「第一線から見た意見」が窺えて、すごく楽しかった。


但しクリエイティブな成績を残してるから発言に重みが宿る訳で、同じことを例えば僕が言っても何の説得力もないだろな、とは思った。そういう意味ではオーラに騙されてる部分はいくらかあるし、全部を信用する訳にもいかないのかなぁ、と。


個人的にうらやましいのは、創造力を加速させる為のバックアップが万全な所に二人とも立っている点。モチベーションとバックボーンは相即してるから、僕みたいな何のバックボーンもない人間がアイディアを閃いたとしても、「完成にこぎ付けれる訳がない」という所でモチベーションが萎縮してしまう。


もちろんそこに立っていること自体が実力の証左なんだけど、「そこからしか始められないもの」というのは確実にある。「バックアップがあるから造れる」という意味ではなく、「バックアップがあるから膨らむ」という意味で、そこには絶対的な差がある。


そういう意味では一点豪華主義というのは一気に世界を変革する作用を持つ。アートビルディングが普遍化されると、そこを起点にモチベーションの枠組みを膨らませられるからだ。即ちモチベーションは実現可能性の範囲で制限される性質を持っていて、それを打破する為に「一つを極める」のは妥当な訳だ。


しかしこの初めの一歩でほとんどの創作者は挫折する。湧いて出るようなものを期待し続け、インスピレーションの意味を履き違える。僕に努力信仰みたいなものはあまりないけど、それは芸術性が普遍化された以降の話であって、普遍化されるまではインスピレーションを形造る努力をしなきゃいけない。


確変するまでにモチベーションが尽きる、というのは往々にしてあり得る。しかし一度確変してしまえば、創造力はほとんど尽きることがないどころか、膨らみ続けていく。そういう所に立っている人の意見は確かに聞いてて楽しいが、別に雲の上の出来事という訳でもない。


そうやって冷静に見返してみると、松本人志宮本茂も大部分において共通認識を語っているし、それは彼等の芸術性が普遍化されている証拠だ。吉本隆明は「十年続ければモノになる」と言うけれど、実際の作品力はともかく、彼等と同じ目線で語れる所までは、誰だって行けると僕も思う。