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THINK ABOUT SOMETHING.

精神の永久機関=半永久機関

先日つぶやいたエロスというのは言わば『自動運動』のことだから、自然体=収束する無制約とはまた意味が違うし、そしてその運動力を激化させることを『あるがまま』と呼んでいる。ややこしいけど、あるがままにはあらゆるストレス的なものも含まれていて、最終的には自然体をも含み込む。


人が何かに情熱を傾けた時、それが本物かどうかを見極める基準というのが、ストレスの閾値未満でやり繰りするか、それを超えたところで研鑽するかというバロメーターだ。自分以外の全ての他者にとってストレスでしかない領域で、ストレスを体感せずに立ち回ることが『才能』になるのだ。


自分で言えばゲームが割と好きだけど、この基準で言えば本物には到らない。昔PS3の日本のトロフィーランキングが一桁台のフレが居たけど、そういうレベルには絶対にならない。だから情熱があるように見えて趣味レベルというか、一線から身を引いている自分が居る訳だ。


バンドマンを目指す人でも、自分は誰よりも情熱があると思い込みながら、無意識的に一線から身を引いている=何もしていない人はかなり居ると思う。そしてローマは一日にして成らずじゃないけど、人間に即時的な変身はできないから、その境界線のUNDER/OVERの乖離はますます酷くなっていく。


なろうと思ってすぐなれるものはあんまりないけど、やっている内にいつの間にかなっているものは結構ある。上記のバンドマンは前者の変身的なものばかり求めていて、しかし現場で活躍しているのは後者だから、黙々刻々と前進していく前線者達とはますます距離が遠ざかっていくという図式がある訳だ。


変身することに対していくら情熱があっても何の役にも立たないし、それは『何もしていない』に過ぎない。逆に一線をOVERしている人達は絶えず自己研鑽しているし、これが先日のつぶやきの『力』に当たる。即時的な変身願望者達にはその力がなく、指をくわえながらプロに憧れる『だけ』に終わる。


他者にとってストレス的なものが自分にとってはストレスフリー(精神の永久機関=半永久機関)。例えばある人にとってギターの練習はつまらないと感じても、自分はそれが苦にならないとかだ。ここまでは割と誰でもイメージできると思うけど、これだけではまた別のある人とその特質が重複してしまう。


例えばA〜Zが世界中の全ての他者だとした場合、Aはギターが苦手でもBやCは苦にならないかもしれない。するとAに対してはアドバンテージであるその特質もBやCとは重複する訳だ。だから自分の中の半永久機関から、A〜Zの半永久機関との重複を打ち消したもの、それがその人間の『聖域』になる。


プロフェッショナルというのはその聖域とそのジャンルが合致した状態を言うのであって、ジャンルに対して情熱的であるかどうかは、実はあんまり関係がない。この辺を勘違いしているのが、ゲーム会社で言えばサイバーコネクトツーだ。前提と帰結が逆転してしまっている訳だ。


ちなみに松岡修造がテニスを教えることになった子に「君テニス好きじゃないだろ」と言って、テニスを辞めさせたというエピソードを読んだことがあるが(真偽は知らない)、そういうところに未来はないし、上手いだけで実は好きじゃないことって、世の中には結構あるものなのだ。