一気呵成までもう少し
結局年末年始の間執筆は全くやらなかった。進められない訳じゃないんだけど、最初のテコ入れで中々力が入らなかった。でも明日仕事したらまた連休だから、そこで最低でも三章は終わらせなきゃな。
こんなことここで書いても仕方ないんだけど、思想的なものを書く場合、序盤から終盤まで一貫した筋を通すのは本当に難しい。段々整合性が取れなくなってくるし、一つの行動原理に還元するのはそもそも無理が在る。
でも僕の場合、バフチンが言うようなカーニバル文学は無理だ。そもそも僕は本を全く読まないから、それをするには実力が伴わない。だから博識から来る濃厚な物語展開はできないし、必然的にツァラトゥストラ形式になる。
書く前と書く後で全体が変化しないような、予定調和的執筆。自分で自分の作品を揶揄すれば、箱入り文学とでも言うべき浮世離れの書。半分自覚しながらもそれを上等で執筆してきたけど、最近少しだけ変化が出てきた。
オチはどこまで行っても固定なんだけど、執筆することで初めて見えてくる地平が、全体を変質させようとし始めた。ある程度のそれは当然織り込み済みだけど、地盤から覆すほどの思想的転回を促すような、そんなレベルの洗礼が来た。
だから四章は大変だ。自分の歴史の総柄でもなく、知識の使い回しでもなく、創造しなきゃならない。ある程度ツイッターがその役目を担ってくれてるけど、まだクリティカルじゃない。その辺が執筆を億劫にさせてきた根本的な原因だけど、いつまでもボケっとしている訳にはいかない。
ここを乗り越えれば、予定調和を打破すれば、後は一気呵成だし、浮世離れでは終わらない筈だ。それに最終章へのスムーズな繋がりという視点からも、ここに来ての洗礼は必然だったと思うし、都合のいい方に考えて、全てが快方に向かっていると思い込むことにしよう。頑張ろう。
輝く因踏み輝く果成れは新しい神学論争のフォーマットになる。それぐらいの強烈な勘違いが、今の自分を形造っています。では1000回目の記念すべきツイートに向けて、一言どうぞ。
答は人の数だけ存在するし、ロジカルならばそれはきっとなにもかも正義だ。そしてそのなにもかもが世界を廻すから、君も君だけの第一義を、君だけの独壇場を、君だけの呼子鳥を。閉ざされた自分の部屋からでもいいし、開かれた現場からでもいい。Just Enjoy Yourself!