ブランド=本領発揮の土台
マリオUをプレイしていて思ったのだけど、一つ何かを打ち立てたとする。するとそれに伴って「こんなこともできるかもしれない」があちこちに現われる。只打ち立てて終わり、ということはあり得ないし、全体の変動を察知し、再構築することでようやく意味を成す訳だ。
打ち立てたことによって生じる可能性を押し広げていく行為には、ある程度のテンションが要る。例えば新規IPのアクションゲームでそれをやるのと、マリオでそれをやるのとでは、全く結果が変わってくる。そういう意味でマリオを超えるアクションゲームが出て来る可能性は、凄く低いなと思ったのだ。
例えば星のカービーは後発のアクションゲームとして、よくできてると思う。でも可能性を押し広げていく現場のテンションがマリオほどではないと思うから、マリオを超えることは先ずない。カービーも中々ブランド力はあると思うけど、どこまで行ってもマリオのブランドには及ばない。
これは狭義での同ジャンル――プレイスタイルの同じジャンル――では大体言えることだけど、本家というか初代というか、ジャンルの大元となったゲームを超えることのできない理由の最たるものが、テンションの圧倒的な格差であり、それは言い換えれば細部の詰めの甘さに繋がる訳だ。
マリオは厳密にはそうじゃないけど、そういう意味で新ジャンルを打ち立てた最初の作品はその時点でブランドが保障される。SNKにスト4は造れないし、カプコンにスカイリムは造れないし、そこに働いてるメカニズムは士気の格差だろう。
もちろん後発が本家を超えた例もあるけど、それは本家の詰めがぬるかっただけのことで、きっちりテンション通りに細部を詰めていれば、後発はほとんど届かない領域まで辿り着ける。よっぽどのブレイクスルーがない限り、あるいは本家がまぐれでない限り、ほぼそういう風に落ち着く。
そういう「本家のブランド」みたいなものを複数確保してる任天堂は、本当に最高の会社だと思う。ましてそこにあぐらをかかず、次の本家を模索したりする訳だから、最早他のメーカーには太刀打ちできない。グリーが任天堂の倒し方云々でネタにされてるけど、そうされて当然というか、バカバカしい話だ。
ブリザードもそうなんだけど、こういう正のスパイラルに一度入るとメーカーとしてもの凄く強い。ブランドをいくつか抱え、ハイテンションは保障され、結果的にそれが新規IPを造る余力にもなる。ブリザードがディアブロだけで終わってたらそれまでだけど、スタークラフトもWoWもある訳だしね。
何らかの絶対的な自信を掴み取ることができれば、村上隆が言うようなハイテンションの裏返しとしての異常な執着は確保されるし、その未満の段階での創作はその以降の段階の人間の執着に必ず敗れる訳だけど、これは実力の差を表しているのではなく、構造的な不可抗力を表しているに過ぎない。
だから正のスパイラルに入るまでは同じ土俵に入れない、即ちプロではない訳だ。実力がいくらあっても士気で負けるし、そういう意味で僕は昔から一点豪華主義を推奨してる訳だけど、これは吉本隆明の「何でも10年続ければモノになる」ということの言い換えでもある。
少し理想論めいた話だけど、10年あればみんなが大体同じラインに立てる。それが早い人は10年もかからないし、遅い人はもっとかかる訳だけど、そこまでが創作の普遍的な『理(あるいは道)』で、それ以降は固有的な『運(持っているもの)』で決まると思う。
だから個人であれ会社であれ、先ずはそこまで行かないと、なのだ。そこまで行かなければ浅田彰の言うように、ディシプリンのない自由、同じような自由に終わるだけだし、そこまで行って初めて『持っているもの』が顕著に表れ、本領発揮――万人万別の自由――ができるのである。