パイオニアの補正
なんとなく藤原ヒロシのことを考えていた。そんなに詳しくないんだけど、日本のDJの先駆けらしく、昔読んでたファッション雑誌のいろんなところに現れたものだ。しかし当然のことだけどパイオニアとベストプレイヤーは別だと僕は思っている。
ただ『ベストプレイヤー』という言い方だと、音の響き的にパイオニアを上回るという感じを受けるが、そうじゃない。ベストプレイヤーがパイオニアになることは先ずなく、即ちフォロワーとして存在し、パイオニアがベストプレイヤーになることも先ずなく、先行事実だけが彼の名誉なのだ。
でも事はそう単純でもない。例えば藤原ヒロシが予定していたプレイリストを他のDJがたまたまプレイしたとしても、藤原ヒロシと同等の評価には絶対にならない。これはある意味では当然なんだけど、そこには格闘ゲームのウメ補正に通じるスナップ作用が存在すると思う。
例えば著名人と一般人が同じ発言をしても、それが頭に残るのは前者の方。そしてその時は意味が分からなくても、生活していく節目で「あの言葉はこういうことだったのか」と覚る瞬間がある。でもこの現象が起きるのは著名人の言葉のみ。一般人の言葉は忘れてしまうからだ。
これをスナップ作用と呼ぶとして、頭に残り続ける言葉は生活のすべてと組織化し、やがて名言補正がかかる。それの最たるものがパイオニアであり、藤原ヒロシとか、糸井重里とか、宮本茂とかには、そういう力がある。そしてこの作用がパイオニアとベストプレイヤーを混同させていく。
つまり何が言いたいかというと、純粋な視点で観察すれば、ツイッターでもいいんだけど、著名人どころの騒ぎではない名言というのはあちらこちらに転がっていて、ただスナップ作用が働きにくいというだけのこと。そういうものがあるがままに評価されることは中々ない。
例外はあれ、僕は何事も未来に向かって完成されていき、後から出てきたものの方が強者だという考えを持ってるけど、オリンピックの世界記録なら数値化されるけど、そうではないものは着眼点がパイオニアに集中してしまう。人は自分の目で見ることを嫌うから、大きな目の見る世界に乗る。神と一緒だ。
もちろん先行事実はそれ自体が凄い才能で、肯定されて然るべきものだけど、すべてを超えてゆくものというような誤解も同時にあって、しかし世界を更新するのは後ろからの差し馬だというのが僕の認識。逃げ切るケースもあるかもしれないけど、死後永遠に追い抜かれることがないということは、ない。
そういう意味ではビートルズばかり聴く人とか、任天堂のゲームばかりプレイする人とかは、凄く損してると思う。オールタイムベスト系の記事になるとこれらは必ず大多数を占めるけど、あれがバラバラになる時代に生きてみたいもんだ。