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THINK ABOUT SOMETHING.

可能と不可能のアウフヘーベン

『絶対はない』という前提から開始した場合、世界は二値にならないので、『impossible is nothing』を0と1と9で記述することができる。初めに0.XX...XをA(可能性)、0.YY...YをB(不可能性)とする。

 

A+B=1とした場合、X=0且つY=9の時その位は否定、X+Yで位が繰り上がる時その位は肯定を表す。この肯定の位のXとYは不確定だが、至高性に還元するのであればX=1且つY=9でしかあり得ず、その場合過去の肯定は妥協を表し、最後の肯定だけが完成を意味する。

 

これは寺山の天才論でもあるのだが、この0と9の対峙を繰り返した最果ての1と9がimpossible is nothingの彼岸であり、この彼岸が小数点から遠ければ遠いほど天才を表すが、このどうしようもなく果てしない1への収斂をメルクマールにしてみた。今のHPのアイコンがそれ。

 

発想の起点は単純だ。文字を異化する時、フォントを変えるのが手っ取り早いが、それよりも異化を強める方法は数字を使うことだと思った。文字で言うことを数字に集約し、且つそれが何かとてつもなく素晴らしいことの比喩であること。そう考えるとこのメルクマールしかなかったのだ。

 

これを自分の文学では『幽かと遥かの対峙する岸』と表現しているが、何かここからあらゆるものを紐解けそうな直観を掴みかけている。天才論で使えるのはもちろんのこと、キリストやベルセルクのフェムトがここに表れていると見ることもできる。

 

但し僕はアディダスのimpossible is nothingにはとても懐疑的だ。ではここまで書いてきたことは何なのかということになるが、『矛盾するもの以外不可能はない』という言い方ならこの言葉も成立する。つまり前に歩きながら後ろに歩くことは不可能なのだ。そう、不可能はあるのだ。

 

既知にするスピードを上回る速度で知が創発される世界で全知全能になるのも不可能だし、しかし矛盾ではない夢は全て可能というスタンスを僕は示す。それが少数点からどこまで遠いものかとか、現代で可能かどうかとかいう話は横に置いておき、dreams come trueのスタンスを僕は取る。

 

このメルクマールを文字に置き換えれば『全ての夢は叶う』だ。そう、最後の最後は必ず1に収斂するのだ。では僕らが何に気をつけるべきかというと、『矛盾した夢を持たない』ということで、この矛盾という言葉の定義をより深める必要があるなと思った。

 

厳密にはこうだ。(矛盾がない限り)どんなに不可能に思える事柄も、絶対がない限り可能・不可能という二値にはならないので、可能性は存在するという言い方になるだろう。それは0と1と9で表され、最後に浮上する1が9の無限を終わらせることが可能性への到達であり、後は彼自身の問題なのだ。