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THINK ABOUT SOMETHING.

センスの何たるか

「センスを磨け」という言葉がある。これは正直うろ覚えだが、寺田克也はこの言葉に対し「センスなんか誰でもあるわ」と答えていた筈で、これは一瞬納得してしまいかねないのだけど、多分違うな。


確かに飛び抜けて素晴らしいものは誰が見ても素晴らしいと感じるし、問題は「見る力」ではなく「造る力」ということを言いたいのだと思うが、これってよくよく考えれば「神は細部に宿る」の真逆行為じゃないか。


もう少し噛み砕いて言うならば、出力の精査自体は誰にでも可能だがその精査に適う出力を起こせるかどうかは人それぞれだ、ということを言いたいのだと仮定して、これは結構危うい論理で「誰にでも可能な精査」の範疇というのは普遍的で、個人的ではない。


誰が見ても素晴らしいものって例えば安直にベルセルクとかだろう。普遍的だからね。でも個人的な趣向が入るが画太郎の漫画を学生時代の時に面白いと思えた自分は少数派の筈。もうこの時点で「出力の精査自体は誰にでも可能」という論理は破綻しているし、これはある種の全体論な訳だ。


昔にもつぶやいたが受け手にとって個体は当然で全体こそ偉大なのに対し、造り手にとって全体は当然で個体こそ偉大なのだという考え方に繋がり、即ち「見る力」というのは寺田克也的には「受け手」のことであり、全体の偉大さは誰にでも分かることを認めた上で、その出力を推奨してしまっている訳だ。


違うだろうと。そうじゃないだろうと。「見る力」というのは厳密には「造り手」のことであり、同時に「造る力」でもあり、即ち五感を入り口として統覚を出口とした能動的な「物語力」のことなのである。


独立して優れるものを信仰している時点でイラストレーター的と言えばイラストレーター的だし、画調にもそれは表れているが、そのセンス論はかなり胡散臭い。ゴッホの変哲もない絵を見て物語を物語れるような人間が「センスがある」と言うのだと思うよ。