如何にして神に背を背けるか
シンプルに考える、壁にぶち当たる、複雑に考える、これが負のスパイラル。複雑に考えれば問題は大抵クリアできるけど、現実性は削ぎ落とされていくただの「逃げ」である。独創性という言葉とこれを結び付けると単純なカルト否定になっちゃうが、断片的に正解だと思う。
シンプルに考える、壁にぶち当たる、思考を取捨する、これが正のスパイラル。壁は一方向からしか攻められない訳ではないから、思考的に自分の領分じゃないと思ったら場をシフトして元の思考をさくっと捨てる。但し幽かにでも「兆し」を感じたらそこで徹底的に詰める。このシフトバランスが創作ではめちゃ重要。
負のスパイラルの「複雑に考える」というのが本当の意味での「思考放棄」で、正のスパイラルの「思考を取捨する」というのが放棄を含んだ「思考洗練」で、前者のやり方で「神を超える」所まで行けば僕はカルトを全面的に肯定するけど、そもそも芸術が「神と邂逅する行為」だと知らないのなら本質から遠ざかっていくだけ。
神以前にある芸術は総じて虚構のアートで、神以降にある芸術は総じて宿命のアートだが、独創性とかカルトとかいう言葉はとにかく前者に結び付きやすく、但し後者に向かっていくならカルトもポップも総じて純粋芸術だと言える。
OVER THE GODにアクセスする行為が芸術であるならば、芸術家は己と闘う夢想家だ。夢想がなければ分裂と闘うこともままならないし、その危機感がない芸術家は実はUNDER THE GODでパフォーマンスしてるだけ。
即ち……病の兆しこそが創作の「勘」であり、立ち向かうべき推敲の「拠点」なのである。こう書くと少し大袈裟かもしれないが、これは芸術構造の一つの正確な比喩になっている筈で、故に僕はUNDER THE GODではなく、OVER THE GODで神に背を向けるのだ。
それは仮初の自分自身に「命を宿す行為」であり、そこから読んで字の如く「宿命が始まる」のである。