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THINK ABOUT SOMETHING.

インスピレーションはクローズドなリンク

何となく思ったのだけど、新メニューを考えるのが創作だとして、「この食材は絶対違う」というのがあるだろう。例えば焼きそばの亜流を考えるとして、そこに納豆を入れるとか、普通はまああり得ない訳だ。


この「論外の選択肢」を外していくのは当然として、残された選択肢を精査していくと「悩ましい選択肢(これはどうだろう)」という領域に行き当たる。厳密には宙ぶらりんの選択肢があって、悩ましい選択肢の範囲は流動するけど、論外を捨て、宙ぶらりんを精査して、残された全てが「センス」な訳だ。


もちろんこの悩ましい選択肢の範囲は人それぞれで、狭くて且つ正確なのがプロフェッショナルだと思うけど、インスピレーションというのはむしろ宙ぶらりんの所にあると思う。即ちプロの目線は大体共通しているから、その範囲で動く以上「頭一つ抜ける」とはならない訳だ。


だからと言って悩ましい選択肢を広く取り過ぎるのは無意味だし、「これはどうだろう」と言える範囲は基本狭ければ狭いほどいい。もちろん選択肢は無限にあるので「悩むことそのものへの直観力」は要る訳だけど、そういう「プロの作業領域」が前提としてあって初めてインスピレーションは成立する。


悩まなくなる瞬間がインスピレーションだとして、それは悩んで悩んで初めて成立する訳だろう。「これはどうだろう」を広く取り過ぎるのは悩んでない証拠(あるいは芸術的幼稚)だし、悩み抜いた挙句の起死回生、それは問題を完璧にフォーカスするということ。そこに答(インスピレーション)が宿る。


「悩む」ということは「フォーカスする」ということだから、悩む前に悩まなくなる瞬間=インスピレーションなんて起こる訳がないし、それはレンズカバーが閉じた状態で被写体を捉えようとする行為に等しい。完全に無意味だけど、そういう「天啓」みたいなものを狙う創作者は結構多いと思う。


「これは絶対違う(論外の選択肢)」を外していって、「これはどうだろう(悩ましい選択肢)」まで絞り込んで、「これしかない(悩みようのない選択肢)」に行き当たる。これが創作の基本形だと僕は思うし、この中間の「宙ぶらりんの流動化」で如何にミスらないかが、才能だ。


即ち「如何に狭く悩めるか=問題の本質を見極める洞察力」であり、この能力が高い人のことを「天才」と言うのだと僕は思う(非ルーチンワークの全てに言える筈)。厳密には洞察力の射程は直観体系とでも言うべき広大なものだけど、優れたそれはあり得ない選択肢を本命の選択肢と繋げることができる。


このあり得ない選択肢というのは本命の選択肢があって初めて連想できるもので、それが欠けた状態で直接アクセスしても「論外」扱いになる。即ち本命というのは「中々外れない強度がある」訳だから、その近似を縦横無尽に探すことでインスピレーション=あり得ない選択肢にリンクできる構造がある訳だ。


だから「プロの作業領域」とでも言うべきものは必ず必要だし、インスピレーションに直接アクセスしようとする創作は、否定はしないけどほとんど上手くいかない筈。プロの作業領域があって初めて「高速スキップ」と「抜け目のなさ」が両立する訳で、勝算もなしに無限の想像力を働かせても徒労に終わる。


このプロの作業領域=勝算の根拠というのは「センス」から来るものだけど、どこまで行っても自分のセンス以上のものは造れないし、自分以上に自分のセンスを満たす人間も他に居ない。そしてそのセンスを磨く=自分自身を極めるという意味だと僕は思うし、それが天才への最高の近道に他ならない。


結局、センスを磨くには遊ぶしかないし、自分の文法を掴むにも遊ぶしかない。それが80点の所までなら誰でも行ける(須田剛一とかタランティーノとか)というのが吉本隆明で、90点以降に独創性と普遍性の逆転が起きる(宮本茂とか松本人志とか)というのが自分の考え。


80点まで来れたらインスピレーションは割と普通に取得できるというか、洞察の帰結として「狭さの象徴」を勝ち取ることができる。それが自分の文法を掴むということ。ここまで来たら今度は造り手の立場として遊び放題で、なっかなか外すことは起こらなくなるし、想像力と直観力が噛み合うようになる。


但しトレードオフな部分はあって、切り捨てた選択肢に革命がある場合もある訳だから、想像力と直観力を噛み合わせるのが常に正しいとは限らない。但し天才への近道なのは間違いないし、僕のやり方ではアインシュタインにはなれないかもしれないけど、三浦建太郎ぐらいまでならなんとか行けると思うぜ。


結論。「インスピレーションというのは妥当な洞察からのリンク」であり、選択肢を狭く取れる人の方がインスピレーションにアクセスできるというのは、逆説のようであって実は真理だ。そうやって自分の文法=プロの作業領域を掴んだら、今度は造り手としてとことん遊ぶべし、というのが今の僕の信仰。