BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

2012-01-01から1年間の記事一覧

黄金律は最終論じゃない

「ハッピーなものは華。それがハッピーだと思える君もまた華。そういう君達の集合が楽園となり、誰もが憧れる繁華街になる。だから振り向くよりも前に進もう。堕ちるよりも高く飛ぼう!」 ある神学者は「人々次第で世界は今すぐ楽園になる」と言ったけど、彼…

引き篭もる理由

「一生遊んで暮らしたい」というのは、小さい頃なら誰もが一度は考えるだろう。もちろん僕もそう考えたことがあるし、その期間も結構長かった。今でもない訳じゃないけど、もうあんまりそこには駆け込まなくなった。 なってもない状態だからいくらでも言える…

トランスフォーマーに見るギャンブルの不可能性

トランスフォーマーを観ていて思ったのだが、計算できる範疇が現実離れし過ぎているのに映画だから成立してしまう、ご都合主義だということ。例えば鉄の塊が切断された時の破片の散らばり方など計算できる筈もないのに、そこに巻き込まれた主人公を安全に拾…

一回性という名の出逢い Pt.2

昨日つぶやいた一回性というのは、出逢いのことであり、純粋偶然性というのは、すれ違いのことである。内的必然性の紐が解かれた状態の自由は、何にも出逢わないし、逆に我に紐付けられた自由は、偶然性という出逢いを呼び込む。 これは赤子の頃の自分と今の…

一回性という名の出逢い

少なくともツイッターは僕の場合、偶然性の組織化=ディレクションでやってるつもりだ。明日のツイートはどうなるか分からないし、明後日のツイートなら更にもっと分からないし、そしてツイッターを始めた初日から考えれば、今の自分は想像以上にロジカルに…

神が生まれた瞬間

独我論という訳じゃないんだけど、斉藤和義っぽく言えば「誰もが誰よりも神話している」のが世界の構造だ。 我以上に尊いものを置かない所から、神話が始まる。言わば主人公を自分に設定し、主観を絶対化することで世界はその人の舞台になる。僕にとっては僕…

自由とディシプリン

紐付けからの飛翔はディシプリンを前提として、自由を帰結とするけど、紐なしからの飛翔は自由を前提として、それ自体が枷になることを帰結とする。簡単に言えば子供が順を追って大人になるか、段階をすっ飛ばして大人になるか、その違いだ。 言わば「世界が…

常識のやらず嫌い

僕が重度のメンヘラから軽度のメンヘラに回復する過程で実感したのは、僕等はほとんどの常識を「やらず嫌い」しているということだ。 例えば引きこもりは太陽に当たれとか、外で活動しろとか、早寝早起きでリズムを造れとか、割とよく言われがちだけど、どれ…

ディレクションの何たるか

ルーチンワークの外側で活動してる人なら分かると思うけど、論文でも、創作でも、試合でも、特攻して初めて見えてくる境地というのがある。いわゆる「偶然性の組織化」というやつだ。 初めから全体像が見えてしまってる創作というのは、基本的につまらない。…

ニートの病理学

ニートが一種の癖なら同性愛も(性)癖だから、今は否定的に見られてても将来的に見直される時代が来るかもしれない。同性愛と同列に語るのは問題かもしれないけど、単純なニート批判は単純な同性愛差別とあんまり変わらない気がする。 甘えから来るニートも…

過ちを繰り返さないスピードで

以前にもつぶやいた通り、ロジックと正義は繋がってると思うけど、これは恋的なものからどんどん離れていって、愛的なものに流れていくということでもある。厳密には違うんだけど、要するに隣人愛から遠人愛への、完璧主義への個性の統合だ。 一方でそれは個…

全体の肯定≒全員の肯定

僕はあらゆるものの拮抗が現実を形造ると思うけど、仮に穏健派と穏健派の拮抗、過激派と過激派の拮抗の二種に大別したとして、どちらの方が深いリアリティーを生じさせるかと問われれば、絶対後者と答える。 例えば無欲の世界と欲の世界のどちらを選ぶか、と…

次の思想は『風』

先週から文学の執筆を再開した。手始めに三章を完成させたけど、次の四章は中々手こずる予感がする。FFじゃないけど、火、水、風、土のそれぞれの思想を展開したいと思ってて、しかし風のそれが中々イメージが湧かないのだ。 僕はサンプリングを堂々と使うの…

キレイキレイの虚構性

漠然と思ったのだけど、ドラゴンクエストとツァラトゥストラはなんとなく似ている。現実とかけ離れているのにリアリティーがあるという、純漫画的な意味で似ている。 僕はドラクエには結構否定的な立場だけど、それは局所的な限られたリアリティーしかないと…

あの素晴らしい躁をもう一度

聖母被昇天という絵画を見た時に「我昇天」という言葉を思い浮かんだけど、今度は自堕落(横溢)に対する言葉として「被堕落(決壊)」という言葉を使ってみよう。結構いろんなものを照らし得る強度を持っていると思うし、自動書記の可能性を押し広げる光に…

決壊こそがドラマ

ツァラトゥストラとカラマーゾフだと、どう考えても作品としてカラマーゾフの方が上位構造だ。ほとんど一人の人物が話を進めていくツァラトゥストラは、その構造上欺瞞や独善といった綻びが出てくるからだ。 バフチンが言うようなカーニバル文学は現実の近似…

再現性と一回性

再現性の対義語を一日考えた挙句、最終的に一回性という言葉に落ち着いた。最初は新規性とか、独創性とか、純粋性とかで妥協しようと思ったんだけど、ふと寺山修司の「歴史の聖なる一回性」という言葉を思い出し、ピンと来た訳だ。 純粋認識批判の壁画で神を…

理詰めの果てにあるもの

僕の創作の特徴だと思うのだけど、文章にしても画像にしてもとにかく「再現性がない」ということ。一度造ったものを再び造り直すことができないし、正直文章を思い出せないこともしょっちゅうある。 「作品との関係性が薄いからそうなるんだ」と言われそうだ…

コピーの頃合い

どんなコピーにも最適なストリーム(流れ)とスパン(長さ)というものが在ると思う。例えばオアシスのBe Here Nowなんか流れに乗れないから共感もできる訳ないし、ウィトゲンシュタインみたいに結論まで数百ページ積み重ねるのもそれはそれで興醒めだ。 ス…

一気呵成までもう少し

結局年末年始の間執筆は全くやらなかった。進められない訳じゃないんだけど、最初のテコ入れで中々力が入らなかった。でも明日仕事したらまた連休だから、そこで最低でも三章は終わらせなきゃな。 こんなことここで書いても仕方ないんだけど、思想的なものを…

ロジックは正義の世界か

漠然と直観したのだけど、ロジカルになるということは正義に近付いていくということじゃないのか。もちろんロジカルな欺瞞というのも在るけど、そこさえ監視していればロジックの宿命として正義に帰結せざるを得ないからだ。 その条件自体に無理が在るのだが…

民主主義と革命

どっちつかずな時に何を重んじるかというと、それは隣人だ。両方が隣人の時は少し判断に悩むが、基本的に身内を贔屓するのが普通だ。例えば身内と赤の他人が口論していて、相手の方が正しいとしてもそれに乗る人など居ないだろう。普通は身内を擁護するし、…

戦争と楽園は不可分なもの

家族愛と世界愛は同じようなものか、ということを考えてみた。家族は一時的に憎たらしい時期が在っても、結局同じ屋根の下で寝る人間だから、愛憎半ばで暮らさざるを得ない不可避性が在るけど、世界も一緒だと思う。 なんか例えがおかしいけど、仮に犯罪者に…