BLOG.NOIRE

THINK ABOUT SOMETHING.

哲学

決壊こそがドラマ

ツァラトゥストラとカラマーゾフだと、どう考えても作品としてカラマーゾフの方が上位構造だ。ほとんど一人の人物が話を進めていくツァラトゥストラは、その構造上欺瞞や独善といった綻びが出てくるからだ。 バフチンが言うようなカーニバル文学は現実の近似…

再現性と一回性

再現性の対義語を一日考えた挙句、最終的に一回性という言葉に落ち着いた。最初は新規性とか、独創性とか、純粋性とかで妥協しようと思ったんだけど、ふと寺山修司の「歴史の聖なる一回性」という言葉を思い出し、ピンと来た訳だ。 純粋認識批判の壁画で神を…

理詰めの果てにあるもの

僕の創作の特徴だと思うのだけど、文章にしても画像にしてもとにかく「再現性がない」ということ。一度造ったものを再び造り直すことができないし、正直文章を思い出せないこともしょっちゅうある。 「作品との関係性が薄いからそうなるんだ」と言われそうだ…

ロジックは正義の世界か

漠然と直観したのだけど、ロジカルになるということは正義に近付いていくということじゃないのか。もちろんロジカルな欺瞞というのも在るけど、そこさえ監視していればロジックの宿命として正義に帰結せざるを得ないからだ。 その条件自体に無理が在るのだが…

民主主義と革命

どっちつかずな時に何を重んじるかというと、それは隣人だ。両方が隣人の時は少し判断に悩むが、基本的に身内を贔屓するのが普通だ。例えば身内と赤の他人が口論していて、相手の方が正しいとしてもそれに乗る人など居ないだろう。普通は身内を擁護するし、…

戦争と楽園は不可分なもの

家族愛と世界愛は同じようなものか、ということを考えてみた。家族は一時的に憎たらしい時期が在っても、結局同じ屋根の下で寝る人間だから、愛憎半ばで暮らさざるを得ない不可避性が在るけど、世界も一緒だと思う。 なんか例えがおかしいけど、仮に犯罪者に…

エッチと愛の比重

なんかすごくイヤなことを思いついたけど、仮に全ての飲食店が500円のワンコインで食べ放題になったら、家庭料理の出番がなくなりかねない。ほとんどの場合プロの料理人の飯の方がおいしいからだ。 仮定自体に無理が在るんだけど、これをエッチに結び付ける…

中庸から離れよう

二つの拮抗が在ってその中間に落とし所を求める、というのはよく在る話だ。例えば制服じゃない職場だからと言って身だしなみばかり気にし過ぎるなという考えと、逆に極端にKYな身だしなみでもそれはそれで恥ずかしいという考えが在って、誰もが「こんなもん…

世界を裏切ろう

僕は一時期引き籠りでニーチェみたいな創作をしてたことが在って、あの頃は本当に未練がなかったというか、それを捨てれた。僕はチキンなので痛いのはイヤだけど、「自分が死んだら世界が救われる」みたいなシチュエーションが起こったら(絶対ないけどな)…

弱者の意識

弱者の意識ってそんなに悪いもんじゃない。むしろそれを失ったら人間終わりで、自信の在ることにしか手を付けてないことの裏返しだ。もちろん適材適所的な限界は在るけどね。 以前にもつぶやいた気がするが、自信が覚悟への隙間を埋める時、弱者の意識が生じ…

鋭利なチェック

うちの親を見ててつくづく思うのが、「勘が鋭い」と言われるその裏には膨大な「外し」が在って、外しの際には目立たないようにして当たりの時に猛威を振るうことで鋭さを際立たせてるということ。 いかに勘が鋭いと言われる人でも、毎回当たりだけをドンピシ…

知ったか音夢の革命講座

論理だけでは革命にならないが、詩を総柄にする革命も短命だ。写実的な道義を重ねた果てに抽象を刹那射抜く、それが革命の本来の在り方であり、不可分な世界の一側面を奉るその本性に拠って、全ての革命は結局滅ぶのである。―知ったか音夢の革命講座― ゆえに…

思想に完成はない

思想書というと大袈裟だが、思想的な体系を造り上げるのが僕の今の目標で、でもこれは後半になればなるほどこじ付けの要素が強くなるということに気付いた。 これは只の怠惰なのかもしれないけど、思想的な本を書いている時、道中の全体性をある程度守りたく…

純愛は洞察から

本気の恋愛が先ず在って、それの為に仮初の恋愛を遊び抜く。そういう恋の形態が在ってもいいだろうと常々思うのだけど、熟した頃にもう一度気持ちを確かめ合って、それが実は幻想だったなら別れればいい。こういう形態こそが最終的に、「純愛の形」になるん…

内向性のメカニズム

今日は何となく思う所が在って、僕はユングの外向か内向かの定義だと、後者の内向だ。そこから更に四つに分岐するけど、取り敢えず基本的には内向型だ。 これは言い換えれば「内向強者だが外向弱者」だということで、内向はともかく、外向的にはまるでダメな…

神の無効証明

定義 神は聖なるものである 定理一 聖なるものは俗なるものの幽かなる残滓であり、俗なるものは聖なるものの遥かなる残滓である 証明一 仮に百年と一日の生を与えられ、百年間は極楽の限りを尽くせたとしても、最後の一日に地獄の拷問が待っているとすれば、…

哲学とは奥の細道の無限性である

哲学というのは要するに、広義なもの、万様なものを限界ギリギリまで狭義に絞る行為だと思う。 例えば自分。日本に住んでいるというよりは大阪に住んでいるという方が近いし、ネットしているというよりはツイートしているという方が近いし、そういう「狭さの…

深淵の双子

一冊の詩の原本と小説の原本がそれぞれ在るとして、それを別の国の言語に翻訳する時、必ず詩の方が難易度が高くなることの理由を考えてみた。 例えばある国の単語をある国の単語に置き換える時、元の言葉が明瞭にフォーカスされていればいる程同等の単語に置…

否定の美学

主に音楽で在りがちな話だが、どう足掻いたってクソ曲でしかないのに、それの否定の否定として「一曲でも多く楽しめた者勝ち」とか言い出す人。それ、絶対間違ってるよ。 一つでも多く取るという思想は、審美眼を鍛えることの放棄にしかならない。むしろ一つ…

ロジックと詩のスパイラル

ある友達とロジックと詩について議論した。結局結論めいたものは出なかったけど、僕の意見はこうだ。 これは多分以前にも書いたけど、詩の最初の目的は「観念を腐らせないこと」だろう。現代詩は知らないけど、産まれたばかりの頃の詩の目的はそれだった筈で…

夕闇通り探検隊のワンシーン

今はもう引退したし、第一線で活躍したこともないヘタレだけど、僕が過去格闘ゲームをやっていた頃の経験で言えば、「自然 > 工夫 > 努力」という差が在ったように思う。 自然というのは一番理想的な状態で、体が脳を経由せずにそれ自体で状況を合理化する…

ゼルダの哲学

ルールプレイというのは「神憑り」で、ゲームがプレイヤーを定義する、既成事実の器。ロールプレイというのは「我宿し」で、プレイヤーがゲームを定義する、天地創造の器。前者はゲームが高解像で、後者はプレイヤーが高解像だが、この両者をハイブリッドさ…

ロジカルな言葉とイロジカルな言葉

言葉は大雑把に二分すると、ロジカルなものとイロジカルなものに分かれる。僕は性格の地の部分でイロジカルな言葉に偏ってるが、最終的に強いのはロジカルな言葉の方である。 少し強引だが、イロジカル=詩人的、ロジカル=文学者的と仮定して、詩人が一切余…

行為が先か自信が先か

僕は行為が先か自信が先か、ということについては結構考えてきた。もし自信が先なら自信がなければ行為もなくていい、という決壊が起こる。ゆえにその一点においては行為が先んじるべきではないのか、といつも思う。 例えばキリスト不能論というのが在るらし…

万人是芸術家

我ながら「観念に筋を通す」というのはすごくいい言葉だと思った。これができて初めて世界と対等に渡り合えるし、まだ見ぬ明日も晴れ晴れと澄み渡るというものだ。 観念に筋が通ればそれは現実としてまかり通るラインに乗る。言わば「最低限の可能性が保障さ…

観念に筋を通すべし

青年時代の夢の大きさと性的妄想の非現実度は一致していて、これは現実のセックスを繰り返しベリファイすることで生々しく変化していく。そしてそれは夢を妥協する行為という訳ではなく、逆説的に最大化する行為である。 前にも書いたが、僕はセックスシンボ…

四段階青春説

人は主観が全体化したような世界観(我は神なり)から出発し、客観を共同化したような世界観(神は死せり)に落ちぶれていく。言わば神話から歴史への転落であり、成人するということである。 産まれた瞬間は創世期の神の如く、誰からも愛される「小さな神」…

偉大な芸術家は火を奪う

以前にも書いたが、眠たい時に思考すると睡魔と闘っている感覚が味わえる。でも恣意に近いような浅い思考だとそうはならなくて、どこまでも潜っていくような深い思考をすると睡魔との闘争が際立ってくる(これは後に書く「坂の比喩」でもある)。 そしてその…

言葉への責任

僕は言葉を正々堂々と使える人間に憧れる。例えば三島由紀夫とか、ハイデッガーとかだ。 僕は絵画的な画力は全然ないけど、言葉による世界描写なら多少できる。でもそれは所詮「多少」に留まっているから、描写に自信のない場面に出くわすと詩に逃げたり、曖…

ハイアマチュアであれ

詳しい意味は分かってないけど、僕はNIKEの「JUST DO IT」という言葉が好きだ。キャッチコピーの世界では多分、短さは一つの正義なんだろうけど、それでいてNIKEらしさの筋が通ってるというか、要は「完成されてる」と思うのだ。 でも偶に思うのは、ほとんど…