芸術理論というのはあらゆる終末への手掛かりとなるものだ。即ち「アーキタイプかくあり」が理想の境地として、そこに到る諸神話の普遍性を描く理論であって、アーキタイプそのものを描画するのは「理論の領分」ではなく、「行為の領分」だ。 僕の芸術理論と…
「エロスから派生する全ての静的なものが必然」としたけれど、「静的」という言い方を「終末的」とした方が正確かもしれない。 「神」や「愛」はもちろんのこと、「答」や「楽園」なんかもそうで、アンオフィシャルな観念として存在はするものの、例えば答に…
僕はキリスト教についてそんなに詳しくないし、知ったかかもしれないけど、「汝の隣人を愛せ」という言葉はよく聞くし、キリスト教の一つの最大原理なのかなと思う。 でもフロイト的に言えば戦争はなくならないし、アプリオリな本質というのは絶対に変えられ…
久々に昔のツイートを読み返して思ったことを書く。「インスピレーション=あり得ない選択肢にリンクできる構造」というツイートがあったのだけど、この書き方は少し語弊があり、あり得ないものはあり得るものでなければならない。 更に言えば「あり得ない選…
僕達は「神かくあり」に向かって「我かくあり」に到らざるを得ない世界に生きている。そこでその神と我を繋ぐ言葉は「ゆえに」か「しかし」か「そして」なのかを考えてみた。 先ず「神はこうある、ゆえに我はこうある」だと、我まで必然性の延長になるから、…
論理的な思考に基づいて試行錯誤し、自分なりの手応えを掴む。これは「慣れる」という行為の基本的なルールだと思うし、「論理がなければ何に基づくのか」というのは最もな意見だ。 でもこれはある一線までの話で、その一線以降を想定すると「感覚」が重要に…
僕は「万回創世をやり直しても万回造られるもの、為されるもの、同じになるもの」を「必然」と呼ぶ。例えば言葉、恋、神などがそれだ。翻ってそうはならないものを僕は「偶然」と呼び、例えば花言葉、恋人、神話などがそれだ。 一応一つ前のツイートはrootに…
世界は説明可能なものと説明不可能なものとで構成されている。例えばスクランブル交差点で人がぶつからない理由を完全に説明することなどできないし、そこには特定のルールがない代わりに暗黙の了解が存在している。 格闘ゲームなんかを見ているとよく思うん…
「事が起きてから再発に備える」というのは簡単だけど、「事が起きる前に事に備える」というのはかなり難しい。子供を見ればこれは明らかで、十字路を何の躊躇もなく全力で突っ走ったりするけど、自転車にぶつかったりあるいはそれ寸前になったりして、初め…
相模ゴムのLOVE DISTANCEというCMがある。個人的には素晴らしいCMだと思うけど、これを発想重視の作品と定義した場合、その対極にあるのは技術重視の作品だろう。 この二つは何が違うかと言うと、着想を得た時点で極論すれば「誰にでも造れる」のが前者なの…
原体験と言うと大袈裟になるけど、僕の思想を形造った一つの言葉に、ベック・ハンセンの「あらゆるものはバランスだ」というのがある。決して中庸を推奨する訳じゃないけど、ある一方向に振り切れるべきものというのは皆無で、折り合いこそが全てなのだ。 例…
村上隆の創造力なき日本を読みたくなってきた。冒頭だけを軽くweb読みしたけど、自分の考えの真逆が一つあって、そこと(架空の)議論をする為だけでも買う価値があると思った。議論の相手は世界的アーティストな訳だから。 僕はどこまで行ってもステレオタ…
何か一つを極める時、論理で固めるのも重要だけど、言葉は本質の近似にはなり得ても本質そのものにはならないし、必ず綻ぶ。かと言って短絡的な観念主義に陥ると足掛かりが曖昧で、思考がまとまらないから、最低限の論理は要る訳だ。 しかし論理とは本来重た…
レースゲームの話だけど、仮に最初から最後まで一直線のコースがあるとして、この場合タイムアタックにおける技術介入の余地が全くなく、マリオカートだとキノピオに対してはクッパの常勝だし、クッパ同士だと必ず引き分けになる。 ではどこで技術の差が出る…
企画職の宿命として、経営陣に理解させる為に大きく変化を付けようとするけど、それは王道ではない。むしろオーソドックスな要素で固めて、バリバリ既作品に似ているのに、何故かこっちの方が面白いという方向性の方が絶対に熱いと思う。 でも当然変化の量が…
おおかみ子供の雨と雪を観た。観るべき所は他にもいろいろあるんだろうけど、個人的には母親のキリのないエネルギーみたいな所をずっと観ていた。 父親が死んでしまって、そこから先の生活は過労を極めるようなレベルだったと思うけど、それを一度も投げ出さ…
ドラクエ10買ったった!でもドラクエとしてプレイする分には面白いけど、MMOとしてプレイする分には何かが物足りない。 まだ序盤だけど、UO世代からすると「パーティー」とか「エンカウント」とか余計な「区切り」があって、即興のノリみたいなものが全然な…
珍しく友達と映画を観た。園子温の「恋の罪」だけど、自分が普段考えていることと共通したテーマだと思った。 どんな人間でも癖というか習性というか、同じような所をグルグルする性質を持っている。性癖にしてもそうだし、服装にしてもそうだし、例えば僕が…
ふと思ったんだけど、自分の世代のゲーマーはDQやFFに対し、ナンバリングを重ねるごとに魔法や召喚魔法の映像がレベルアップしていくのを一つの楽しみにしていたと思う。そしてこれは初代からプレイステーションぐらいまでは、順当に進化していったと思う。 …
なんか素晴らしい夢を見た。世界中から負の要素(痛覚とか悲哀とか)が一切消え去って、空を飛びたいと思えば空を飛べるし、思い描いたことの一切が可能になる世界になったのだけど、その権利を行使できるのが何故か自分だった。 前半の夢は自分が書いている…
自由意志の証明から明らかなように、虚無は有の前提であり、有を有足らしめるものであり、死とは全くの別概念である。死せる物質は一切の有を生み出さず、しかし生ける物質は虚無を内包する為、創造行為が可能である。 それは死せる物質としては芸術行為とし…
ロッククライミングの話の続きだけど、標高0m地点(要するに地上)からのルートの見え方と昇り方、標高1000m地点からのルートの見え方と昇り方は、基本的に同じ筈だ。 要するに、標高0m地点=凡人領域と、標高1000m地点=天才領域とでは、実は基本的に「同じ…
職場で「いえいえ」と発言した時に思ったのだけど、僕の言葉遣いは割と曖昧で、言葉の本来の意味から外れてることもよくあると思う。それでも「いえいえ」という言葉が出てきたのは、「これでイケるんじゃないか」という直観が来たからだ。 日常会話というの…
作品を作家の延長線上で見ていない人は居ない。例えば失笑に値するような漫画(具体的に挙げたいんだけどやめとく)があるとしても、それを画太郎が書いてれば最高傑作となり得るように、作品は単体では決して評価されることがない。 これはゲームの世界では…
VITAのビームスデザインのポーチを買った。そこで漠然と思ったのが、デザインはまあまあいいんだけど、結局「既存のデザインのデジャヴでしかない」ということだ。ビームスは服も好きなんだけど、最近「ハイ・ユニクロ」みたいなイメージになりつつある。 要…
ゲームなんかは既存の素材を当てはめていくというより(もちろんそれもあるんだけど)、当てはめようとするパーツそれ自体が既に創造的=複合的だから、自分の考える創作論は破綻しない。但し小説なんかだと煮詰まった時、それをたった一語の言葉が打破する…
何となく思ったのだけど、新メニューを考えるのが創作だとして、「この食材は絶対違う」というのがあるだろう。例えば焼きそばの亜流を考えるとして、そこに納豆を入れるとか、普通はまああり得ない訳だ。 この「論外の選択肢」を外していくのは当然として、…
ないものを求めるのも、隙間を求めるのも、独創性としてなんか違う。例えばアパレルで「ジーンズを超えるアイテムを造ろう」という企画があるとすれば、それは馬鹿げている。完全にないものを求める発想で、その縮図が隙間を求める発想で、こっちは現実的だ…
今更ながら松本人志と宮本茂の対談を見た。発言の一つ一つに「第一線から見た意見」が窺えて、すごく楽しかった。 但しクリエイティブな成績を残してるから発言に重みが宿る訳で、同じことを例えば僕が言っても何の説得力もないだろな、とは思った。そういう…
The Last Of Usのプレイ動画を観たけど、その辺の「本命を上から並べるだけ」の作品とは違う、心地良い不完全性を感じた。単体で切り取った時にはノイズにしかならないものを、作品性に昇華させてると言えばいいのかな。 本命を順に並べるということは、意識…